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サムエル記第二12章-1

サムエル記第二12章-1(1-14節)
=本章の内容=

❶ナタンの諫言

=ポイント聖句=

5,ダビデは、その男に対して激しい怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死に値する。

13,ダビデはナタンに言った。「私は主の前に罪ある者です。」ナタンはダビデに言った。「主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。

=注目聖句=

13,ダビデはナタンに言った「私は主の前に罪ある者です。」(新改訳2017版)

13,「私は主に対して罪を犯しました」と、ダビデはナタンに告白しました。(リビングバイブル)

13,And David said unto Nathan, I have sinned against the LORD.(KJV)【直訳】ダビデはナタンに言った、「わたしは主に対して罪を犯しました。

13,Then David confessed to Nathan, “I have sinned against the LORD.(NLT)【直訳】ダビデはナタンに言った、「わたしは主に対して罪を犯しました。

=黙想の記録=

❶1-14節:ナタンの諫言・・・Ⅱサムエル記7章で登場する顧問預言者ナタンはダビデから神殿建立計画を打ち明けられた時、国王にいったんは忖度する見解を述べた者の直後神託が下り「神殿建立計画の禁止」を告げます。以降この時点に至るまでナタンに登場の機会は与えられていません。想像するに都合の良いことを聞きたかったダビデにとってナタンはうっとおし蠅の様に思えたからでしょう。しかし今回のナタンにはサムエルの様な気骨が見えるのです。ナタンはダビデ王の悪態を耳にし預言者本来の役目を果たそうとダビデの元を訪れるのです。狂気に満ちた今のダビデの前で諫言するのは命の危険を伴う行為です。サウルの死を告げ知らせたアマレク人の若者のようにイシュ・ボシェテの首を持ってきたカナン人の二人の若者の様にその場で即刻処刑されることも予想できるのです。しかし今回のナタンにはダビデへの忖度は一切見られません。はっきりダビデを断罪しています。霊的盲目状態に陥っていたダビデに律法を振りかざすのでは反ってダビデの逆鱗に触れるだけです。そこでナタンは「富める人と貧しい人」の譬えを語ることでダビデ自らに自身に対して有罪判決を下すように仕向けたものだったのです。「3,・・・子羊は彼とその子どもたちと一緒に暮らし、彼と同じ食べ物を食べ、同じ杯から飲み、彼の懐で休み、まるで彼の娘のようでした。」とありますが「子羊」を引き合いに出したのは元々羊飼いであったダビデに「獣や盗人に理不尽にも子羊が奪われる」ことを通して「ウリヤの苦悩」をイメージさせたかったからです。「4,一人の旅人が、富んでいる人のところにやって来ました。彼は、自分のところに来た旅人のために自分の羊や牛の群れから取って調理するのを惜しみ、貧しい人の雌の子羊を奪い取り、自分のところに来た人のために調理しました。」もちろん登場する富める人とは多くの富を持ちまた多くの正室や側室を持っていたダビデのことです。一方貧しい人とは唯一人の妻を慈しんでいたウリヤのことです。小さな雌の子羊とはバテ・シェバのことです。ここでナタンは「富める人が貧しい人から雌の子羊を奪い取り調理した」と言っていますが、調理されるということは子羊をその場で殺すことを意味しています。つまり取り返しのつかない歴然とした事実がそこのあることを断言しているのです。それはバテ・シェバとの姦淫の罪であり、故意にウリヤを殺害した罪のことです。ダビデは他人事として聞いていますがナタンの譬えに登場する富める人に激しい怒りの感情をぶつけるのです。「5-6,・・・主は生きておられる。そんなことをした男は死に値する。その男は、あわれみの心もなく、そんなことをしたのだから、その雌の子羊を四倍にして償わなければならない。」とダビデは富める人を断罪するのです。ここで「子羊を四倍にして償う」というのは財産の保護を規定している律法(出エジプト22:1)のことです。ところが律法のその箇所には家畜に関しては償うことが量刑であり「死に値する(死罪)」などとは記載されていないのです。つまりこの部分はダビデが怒りに任せて言った言葉です。ダビデの行為は主なる神様のお心を激しく傷つけ即刻「死罪」を宣告されても当然なのです。ダビデが自分で自分に宣告したのを受けてナタンはすかさず「譬えの中に登場する悪辣な富める人こそダビデ本人である」と種明かしをしウリヤを故意に殺害した罪、バテ・シェバとの姦淫の罪を断罪するのです。さらにナタンは続けて「罪の刈り取り」つまり「主なる神様の裁き」について神託を言い渡します。それは今後ダビデ家で起こる悍ましい事件悲惨な出来事のことでした。「11,・・・あなたの妻たちをあなたの目の前で奪い取り、あなたの隣人に与える。彼は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。」は三男アブシャロムの造反事件で実行されてしまいます。「14,・・・あなたに生まれる息子は必ず死ぬ。」出産直後に亡くなってしまいます。
●「わたしは罪を犯しました。」—サウルも罪を告白しています(Ⅰサムエル15:24)が続く言葉は「見逃してくれ」というもので、主なる神様への罪の呵責は見当たりません。サウルの告白は単に預言者サムエルへの譲歩であり預言者の支持を確保するためのものです。真の悔い改めではありません。ダビデはこの短い言葉で神の前に打ち砕かれた心の告白を注ぎます。なぜなら今後ダビデ家に下されるであろう主なる神様への処罰に関して何の抗弁もしていないからです。また詩篇51篇にはこの時の心情がつまびらかにされています。ナタンはダビデの真摯な態度を見て「13,主も、あなたの罪を取り去ってくださった。」と主なる神様の慈愛がなおもダビデに注がれていることを伝え「あなたは死なない。」との言葉で今後も王としての職務を全うせよと励ましているのです。ところがバテ・シェバが身ごもっている子供の死を宣告されるのです。