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サムエル記第二11章-3

サムエル記第二11章-3(14-27節)

=本章の内容=

❸ウリヤ殺害の決行❹ヨアブの報告とウリヤの妻

=ポイント聖句=

15,彼は、その手紙に次のように書いた。「ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が討たれて死ぬようにせよ。」

24,城壁の上から射手たちがあなたの家来たちに矢を射かけ、王の家来たちが死に、あなたの家来、ヒッタイト人ウリヤも死にました。

=注目聖句=

27,・・・しかし、ダビデが行ったことは主のみこころを損なった。(新改訳2017版)

27,・・・ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。(新共同訳)

27,・・・David had done displeased(不機嫌・不快・腹を立てる) the LORD.(KJV)

27,へヴル語デビッドゥ・アサ―・ラアェー[ダビデは・為す(生みだす,扱う)・悲しませる(傷つける,砕いた,割れた)] =黙想の記録=

❸15-17節:ウリヤ殺害の決行・・・ダビデはヨアブに手紙を書きウリヤ自身の手によって送り届けます。「15,ウリヤを激戦の真っ正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が討たれて死ぬようにせよ。」ヨアブは無条件でダビデの命に従います。この時点で戦場にいたヨアブにはダビデとバテ・シェバの一件は噂にもなっていなかったことでしょう。しかしダビデ王の命に従いダビデの言われた通りウリヤを激戦地に送り死なせるのです。ウリヤは異邦人ながら先の戦いで粉塵努力していた人物であることは周知の事実です。その人物を無駄死にさせよとのダビデの真意をヨアブは全く理解できないままだったのです。ダビデは何も知らないヨアブに大罪の片棒を担がせたのです。

❹18-27節:ヨアブの報告とウリヤの妻・・・ヨアブは戦況報告の為伝令をダビデの元に飛ばします。20-21節の報告の意味は、ダビデの気が変わり、ウリヤを含む戦士たちの死の責任を問われると危惧したからです。士師記9:50-56を引き合いに出し、「王の命に従い、悪者(ウリヤ)を主なる神様の手任せたところに裁かれ死にました」とダビデに忖度した言葉を添えているのです。ダビデはすぐにヨアブに返信します。「25,このことに心を痛めるな。剣はこちらの者も、あちらの者も食い尽くすものだ。あなたは町をいっそう激しく攻撃し、それを全滅させよ。」このダビデの言葉を言い換えると「ウリヤの死は単なる不慮の事故であり戦争では良くあることだ。ウリヤの死を悲しんでいる暇はない。戦いにいよいよ打ち込み勝利をものにせよ。」と表向きにはヨアブを励ますためのものですが舌下には「ウリヤの死について詮索するな」という脅迫めいたものが感じとられるのです。ヨアブは帰国して始めて「ウリヤの死」の意味を知ることでしょう。王としての品位を欠く行動に走ったダビデ、そのダビデの大罪の片棒を担がされたことに気付いた時ヨアブはダビデに幻滅することになるのです。一方ダビデはこの知らせに心の中で小躍りしたことでしょう。邪魔者を消すことができたのです。これでバテ・シェバとの婚姻を差し止める障害は何一つ残っていないと。「26,ウリヤの妻は、自分の夫ウリヤが死んだことを聞き、自分の主人のために悼み悲しんだ。」とありバテ・シェバは夫を亡くした健気な妻を演じているのです。内心では国母への道が開かれたことをほくそ笑んでいたかもしれないのです。作者はここでバテ・シェバと名前を出していないのです。この言い回しにはバテ・シェバに対する憤りさへ感じさせます。「27,喪が明けると、ダビデは人を遣わして、彼女を自分の家に迎え入れた。」とあるように7日間の喪が明けるとすぐにダビデはバテ・シェバを宮廷に呼び出し妻として迎え入れるのです。バテ・シェバは正々堂々王宮で出産できたのです。国母になる機会がようやくやって来たのです。「27,・・・しかし、ダビデが行ったことは主のみこころを損なった。」とあります。ダビデは「姦淫」と「故意の殺人」という二重の大罪を犯したばかりではないのです。主なる神様の心を深く傷つけ悲しませる結果となったのです。ダビデの人生は以降奈落に落ちていくようになっていくのです。

●この事件を『国家の領域が確定されまた臣下に政権運営を任せても大丈夫と慢心しているダビデに起こった劣情(抑えきれない性欲)によるレイプ事件』と片付けていいのでしょうか。不可視的な霊的世界から考えると、この事件は悪魔の所業そのものなのです。悪魔は人間が困難を経験している時には登場しません。なぜなら主なる神様が強力な御手を伸ばしているので付け入る隙がないからです。ところが人間が順風満帆な時にこそ悪魔は人間の肉欲に手を添えて誘惑と言う武器で攻撃してくるものです。ダビデとバテ・シェバにとって今が人生の絶頂期で慢心つまり正しい意味での「主なる神様への緊張感」が無くなっている時だったのです。ダビデにとっては性欲、バテ・シェバにとっては自己顕示欲(承認欲求・出世欲)という肉欲が悪魔に利用されそして双方ともその欲に溺れてしまった結末がこの事件といえるのです。