サムエル記第二6章-2

サムエル記第二6章-2(12-23)
=本章の内容=
❷エルサレムに運ばれた神の箱➌王女ミカルの悲劇(絶望的な結婚生活)
=ポイント聖句=14,ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
16,主の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていた。彼女はダビデ王が主の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ。
=黙想の記録=❷12-19節:エルサレムに運ばれた神の箱・・・レビ人のオベデ・エドムの家に三か月の短時間で起こった祝福とはいったい何だったのでしょう。「家」と「属するもの」との表現から想像できることは「おめでたいこと(吉事・慶事)」が連続したこと、つまり結婚や出産などが相次いだ事・農作物の収穫が例年よりも豊作だった事・家畜の出産が相次いだ事などが考えられます。この祝福は契約の箱をオベデ・エドムが勇気をもって受け入れ保管したことに要因しています。オベデ・エドムはメラリの家族のレビ人(1歴代誌15:18)で、地味ではありますが与えられた生涯を忠実に過ごす敬虔な生活をしていたことでしょう。その様子を主はご存じだったので彼に契約の箱を託したと言えるのです。しかし、この三か月間にはもっと重要な意味があるのです。それはダビデへの悔い改めに必要な時間だったのです。三か月後ダビデはオベデ・エドムの家からエルサレムに神の箱を移送するのです。Ⅰ歴代誌15章には規約に基づいて神の箱を運搬する様子が詳細に書かれています。「14,ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。」とあるように、この時のダビデは冠を外し大礼服(国王が纏う洋服)を脱ぎ祭儀に使う亜麻布(14)を身に着けているのです。つまり一般人と同じ出で立ちで政治色は一切見られないのです。「14,ダビデは、主の前で力の限り跳ね回った。」とありますが、国民に交じり喜びを分かち合っているのです。これこそがダビデ本来の姿だったのです。「17-19,主の箱は、ダビデが用意しておいた天幕に安置されました。ダビデは主に、焼き尽くすいけにえと和解のいけにえをささげました。それから、天地を支配しておられる主の名によって民を祝福し、男にも女にもすべての民にパン一個、ぶどう酒、干しぶどうの菓子一個をふるまいました。・・・」エルサレムにはすでに神の箱を安置する以前に幕屋が用意されており、聖所に当たる部分に神の箱を安置しました。・・・この幕屋は以前ギベオンにありましたが、移築したか新設したかは定かではありません。もし新設された場合はツロの王がその建設に関わり建設資材を提供したのでしょう。・・・「18,ダビデは主に、焼き尽くすいけにえと和解のいけにえをささげました」とありますが、もちろん祭儀に携わる祭司などを介して捧げたのであってダビデ自身の手に拠ったわけではありません。さらに「男にも女にもすべての民にパン一個、ぶどう酒、干しぶどうの菓子一個をふるまいました。」とあるように、ダビデは参加者全員に与えたわけですが、1節では全国から集まった軍人だけでなくエルサレムの住民を含むわけですから少なくとも4万人分を支度しなければなりません。これを惜しみなく用意するのです。配布された物は質素であっても王室の者から一般民衆まで同じものを同時に食したのです。ここにもダビデの心配りがあるのです。民を愛する王であることが表現されているのです。
➌20-23節:王女ミカルの悲劇(絶望的な結婚生活)・・・ミカルは悪女なのでしょうか。冷酷な女性なのでしょうか。むしろ身勝手なダビデの被害者と言えないでしょうか。(Ⅱサムエル3:14-16を読み直してください。)
【ポイント①】「15,・・・サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていた」とあるように確かにこの時点のミカルはダビデの心に寄り添っていませんでした。ダビデは政策上サウル家との和睦工作の為ミカルとの復縁した(Ⅱサムエル記3:14-16)のです。この時のダビデにミカルへの愛情は片鱗もありません。一本気で裏がない「清廉潔白の青年ダビデ」はもうそこには居ないのです。またミカルの方も前の主人と引き裂かれたことで、安定していたであろう生活をかき乱されたわけですから快く思っているはずがありません。またこの時点で自分を含めて7人の正室がおりそれぞれに王子(子供)を授かっているのです。ダビデは女性を政略の一環として利用しているだけなのです。ミカルにとってここエルサレムでの生活は絶望的で自宅牢に閉じ込められているのも同然なのです。
【ポイント②】「23,サウルの娘ミカルには、死ぬまで子がなかった。」とありますが、穿った見方をするとこれこそがダビデの復縁の理由だったとは言えないでしょうか。つまり、「サウル王朝を完全に根絶やしにする為」だけにミカルと復縁したと思われるのです。
【ポイント③】多くの方々がミカルをまるで悪者扱いするのですが、ダビデの心意を知ったのならミカルでなくてもダビデに幻滅するのは当然なのです。それが「20,・・・イスラエルの王は、今日、本当に威厳がございましたね。ごろつきが恥ずかしげもなく裸になるように、今日、あなたは自分の家来の女奴隷の目の前で裸になられて。」の言葉になってしまったのです。
【ポイント④】仮にミカルがこのダビデの今の様子にも幻滅しないでダビデを理解しダビデの気持ちに寄り添って一緒に踊りの輪に加わったのなら、ダビデは王女ミカルの心意気に再び惚れ直すことがあったことでしょう。残念ながら、彼女が最後まで己を捨てきることができなかった(王女であることに拘り続けた)のは主なる神様に対する信頼の心がなかったからと結論付けることができます。主なる神様への信仰が出会いの時からあったのなら、全てを忍耐して受け入れることができたかもしれません。また蛇足ながら、ミカルには民を愛する思いに欠けていました。国母としての資質に欠けていたのです。これも主なる神様に忠実に仕えようとの信仰心の欠如と言えるのです。