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サムエル記第二章3章-5

2024年6月27日

サムエル記第二3章-5(28-39節)
=本章の内容=

❻ヨアブとダビデの確執

=ポイント聖句=

28,後になって、ダビデはそのことを聞いて言った。「ネルの子アブネルの血については、私も私の王国も、主の前にとこしえまで潔白である。

31,ダビデは、ヨアブと彼とともにいたすべての兵に言った。「あなたがたの衣を引き裂き、粗布をまとい、アブネルの前で悼み悲しみなさい。」そして、ダビデ王は棺の後をついて行った。

=黙想の記録=

❻28-39節:ヨアブとダビデの確執・・・ヨアブはイシュ・ボシェテ軍との戦い以降、「ペリシテ人、エドム人、あるいは他の民族」の略奪部隊掃討作戦に出かけていたようです。その作戦に連戦連勝し山のような分捕り物をヘブロンに持ち込むのです。この下りはダビデが戦果を挙げて帰国した様子に似ています。すでにヨアブは内外も認める第二のダビデ将軍の体をなしていたのです。アブネル暗殺はヨアブの側からすれば「血の復讐者」としての当然の権利です(民数記35:20-21)。ヨアブのアブネル殺害についてダビデには処罰する根拠がないのです。しかも今のヨアブは民衆に人気があるのです。そこでダビデは処罰する代わり「28-29節」のようにヨアブを口頭で呪うしか術がなかったのです。しかもこの呪いの言葉をみるとヨアブ自身への呪いではなくヨアブの家族一族を呪っているのです。「28, ネルの子アブネルの血については、私も私の王国も、主の前にとこしえまで潔白である。」は公式の場で語られた言葉です。こんな悲劇が起こってしまう要因はダビデその人にあるにも拘わらず、ヨアブに責任転嫁するのです。アブネルの葬儀もヨアブは屈辱的な取り扱いをされるのです。「あなたがたの衣を引き裂き、粗布をまとい、アブネルの前で悼み悲しみなさい。」とありますが、「衣服を引き裂き、荒布をまとえ」とはヨアブに、公衆の面前で己が犯した罪を悔いさせ恥をかくようにするものなのです。しかし如何に不本意なものであっても現段階で王命に背くことは許されないのです。さらにダビデ王自身が喪主となり正に国葬を行うのです。葬儀の直後に会葬者一同で会食するのが慣例ですが、ダビデは殊勝にも断食までして悼む気持ちを表現しているのです。また慣例を破りアブネルをヘブロンに埋葬するなどあってはならない事です。ところがダビデは全てを強引に進めてしまうのです。これら一連の行動はダビデの政治戦略の一つです。ベニヤ民族の勇士をユダの地に葬ることでベニヤ民族との和解を表明しなおかつ11部族に大同団結をイメージさせるきっかけ作りになるからです。ダビデ王はアブネルの為に哀歌までつくり国葬の際に公の場でそれを吟じるのですが、その歌の真意は「アブネルは(ヨアブによって)犯罪人のように処刑された。どうしてこんな理不尽なことが起きるのだ。」で間接的にヨアブを非難するものだったのです。「36-37, こればかりでなく、ダビデのすることなすことはすべて、人々を満足させました。ダビデの行いをつぶさに見たユダとイスラエルの全国民は、それによってアブネルの死の責任がダビデにないことを認めたのです。(リビングバイブル)」とあるようにダビデの巧妙な演出により国民(イスラエル全部族)はダビデに心がなびいてしまったのです。「39,私は神に選ばれた王だが、ツェルヤのこの二人の息子に何もできない。どうか主が、このような悪を行った者に報いられるように。(リビングバイブル)」と付け加えてしまえば、国民はヨアブを悪者と決めつけてしまようになるのです。「部下を慈しみ、祝福し、成長を願う」のがダビデのモットーの筈なのです。主なる神様に心が向いているダビデなら当然のことなのですが、今のダビデにはその片鱗も垣間見えないのです。この時以来ダビデとヨアブには深く大きな確執が生まれてしまうのです。信仰者ダビデは今や怪物と化しているのです。この事件こそこの世の心の支配者サタンのシナリオ通りだったのです。サタンは破壊者です。

=注目語句=

語句①漏出を病む者(29):英語one who has a discharge[排出・漏出](NLT);ヘブル語ズーブ・・・レビ15:2-3参照。女性特有の病気「長血[子宮から血のまじったおりものが長期間出ること]」やリンパ浮腫など体内にあるべき分泌液が体外に漏れ出してしまう病気が考えられる

語句②糸巻をつかむ者(29):英語;ヘブル語・・・女性の仕事にしか適さない哀れな女々しい人物と訳す場合があるが意図するところは、身体障害者のこと