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サムエル記第二章1章-1

2024年6月27日

サムエル記第二1章-1(1-16節)
=本章の内容=

❶サウルの死の報告

=ポイント聖句=

10,私は近寄って、あの方を殺しました。もう倒れて生き延びることができないと分かったからです。私は、頭にあった王冠と、腕に付いていた腕輪を取って、ここに、あなた様のところに持って参りました。

16,ダビデは若い者に言った。「おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」

=黙想の記録=

❶1-16節サウルの死の報告・・・アマレク人の略奪隊を駆逐した後ダビデはユダ族の諸氏族に戦勝品を贈っています。それは放浪中のダビデ一行を厚く庇護してくれた恩義への返礼でした。しかし、同時にダビデの実力が復帰したことに対する証明にもなっているのです。その為、この時点以降イスラエル中の勇者たちがイスラエルを再び復興させるためにダビデの元に続々集結していくのです(歴代誌第一12章[特に12:21])。「1-2,・・・二日間、ツィクラグにとどまっていた。すると三日目に」とありますが、「間髪を入れず」という主なる神様の絶妙なタイミングを表現しています。サウルとその息子たちの戦死の情報がダビデに届きます。兵力で圧倒するペリシテ連合軍を前にサウル軍の敗北は目に見えています。サウル軍敗北の知らせが程なく届くであろうとダビデは予測していたはずです。2-10節には訃報を知らせたアマレク人とダビデとのやり取りが詳細に書かれています。ところがところが彼の様子や言動はいくつもの不自然な点があるのです。以下にまとめてみます。

【アマレク人の若者の言い訳と下心】

[1] 「2,すると三日目に、見よ、一人の男がサウルのいた陣営からやって来た。衣は裂け、頭には土をかぶっていた。」・・・「衣は裂け、頭には土をかぶっていた」の行為はサウル軍敗北または王族の非業の死への哀悼の意を表現するものです。ところが陣営から来たと言うなら血まみれの軍服を身に着けているはずですが、ここでは衣「平民の服」を着ています。
[2]「2,・・・彼はダビデのところに来ると、地にひれ伏して礼をした。」とあります。これはダビデをあたかも神々のように礼賛する様子です。ダビデをサウル王の後継者と認識しているわざとらしい敬礼の仕方なのです。また「4,・・・サウルも、その子ヨナタンも死にました」と言っているのは、「国王もその後継者も亡くなりイスラエルは今国王不在の状態であり、ダビデこそはその王位を受け継ぐにふさわしい」と言っているのと同様なのです。つまりダビデを崇め奉(あがめたてまつ)っているのです。
[3]サウルの死を見届けてギルボア山からダビデの現在地ツィクラグまで約200kmの道のりをラクダに乗って来たとしても丸三日以上かかるのです。後にこのアマレク人は自らを「寄留者の子」と称した様にラクダに乗って来られる程高貴な存在ではないはずです。しかも戦いに参加していたとするなら例のエジプト人のように疲労困憊している様子が見えていていいはずなのです。
[4] 「6,・・・私は、たまたまギルボア山にいました」とありますが「3,・・・陣営から逃れて来ました」と言っておきながら「偶然ギルボア山に居た」と言うのは不自然です。何の目的で待機していたのでしょう。明らかに戦死者から物品を剥ぎ取る略奪行為を行う為に待機していたのです。
[5]「6,・・・見ると、サウルは自分の槍にもたれ、戦車と騎兵が押し迫っていました。」とありますが、
このアマレク人は「重傷を負いながらペリシテ人から逃走し逃げきれないと知って自害したサウル」を目視できる位置にいたのでしょう。サウルの部下が自害しそこにイスラエル人がいない事を確認するやサウルの遺骸の所に走り寄ったのです。サウルが寄りかかっていた槍を強調したのはそれがサウル軍総司令官の特別な証拠物品だったからです。
[6]「8『おまえはだれか』とお尋ねになります。『アマレク人でございます』とお答えしますと、」・・・アマレク人聖絶の件がこうした窮地に追い込まれるそもそもの要因だったのです。アマレク人を傭兵として雇い入れることなどありえないのです。
[7]「9-10,『さあ、私を殺してくれ。この苦しみから救ってくれ。死にきれないのがつらくて耐えられないのだ』とおっしゃるのです。そこで私は、もう時間の問題だと察したので、あの方にとどめを刺しました。そして、あの方の王冠と腕輪の一つを持ってまいりました。」・・・アマレク人は美談を作り出します。それはサウル王の苦しみを和らげるために自らの手で殺したというものでした。しかしサウル軍の傭兵であったとしても瀕死の重傷を負った主君を助け出すのが先決なのです。また王の死骸を放置して王冠や腕輪だけを持って来るなど不敬の極みです。そもそも王冠や腕輪をサウルの生き残った子供に遺品として渡すのが忠義の筈です。それをダビデに献上するのは自分に利するための意図があるのです。つまりサウル王の王冠と腕輪をダビデに引き渡すことでダビデこそが王位継承者であると認めていることになるのです。目の前のダビデがこの王冠と腕輪を黙って受け取ることをアマレク人は想像していたのです。このアマレク人と家事奴隷の長ドエグ(第一21:7)同様、それは自分の昇進や褒章の為になるからです。

【ダビデの対応】

[1]「11-12,ダビデは自分の衣をつかんで引き裂いた。ともにいた家来たちもみな、そのようにした。彼らは、サウルのため、その子ヨナタンのため、また主の民のため、イスラエルの家のために悼み悲しんで泣き、夕方まで断食した。サウルらが剣に倒れたからである。」・・・このアマレク人を裁く前にダビデはサウル王とヨナタンに哀悼の意を表しました。ここで驚嘆すべきは「ともにいた家来たちもみな、そのようにした」とあるところです。自分たちの逃亡劇の要因は単衣にサウル王にあったのです。憎んでも憎み切れない相手なのに。しかし彼らは礼儀正しく振舞ったのです。サウルの死は表面的にはペリシテ人の攻撃による戦死です。「このように、サウルは主の信頼を裏切った不信の罪のゆえに死んだ。彼は主のことばを守らず、霊媒に伺いを立てることまでして、主に尋ねることをしなかった。そのため、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。(歴代誌第一10:13-14)」とあるように、主なる神様の視点に立てばこれは主なる神様の裁きの結果だったのです。ダビデもまた「サウル王の死は主なる神様の厳粛な裁きの結果である」と重く受け止めていたのです。また彼らの死はダビデが王位に就くことを意味する出来事でもあるのです。この厳粛な事実を部下たちも十分自覚したうえでの大人の行動だったのです。アキシュ王の元に居た時のように単なる略奪集団ではなくイスラエル正規軍に格上げされる瞬間だったのです。
[2] 「15-16節,ダビデは家来の一人を呼んで言った。「これに討ちかかれ。」彼がその若い者を討ったので、若い者は死んだ。ダビデは若い者に言った。「おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」・・・ダビデはこのアマレク人を処刑します。彼の言葉は上述のように矛盾だらけです。ダビデは最初から彼の欺瞞を見抜いていたのです。「16,・・・おまえの血は、おまえの頭上に降りかかれ。おまえ自身の口で、『私は主に油注がれた方を殺した』と証言したのだから。」とあるように「主なる神様がお立てになった国王を殺した」ことがこのアマレク人の罪状でした。仮にダビデがこのアマレク人を生かして褒章を与えるようなことでもあるなら、ダビデはサウル王が殺害されるのを望んでいたことを衆人に知らせることになってしまうのです。ダビデはサウルの命を狙える二度のチャンスがありましたが実行しません。それは主なる神様の権威に逆らうことになるからです。