ペテロの手紙第二 1章
ペテロの手紙第二 1章
=本章の内容=
❶基督者の努力とは❷変貌の山は永遠のいのちの証➌聖書について
=ポイント聖句=こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、・・・(1:5)
=黙想の記録=●ペテロの手紙第ニの目的は、迫害に先立って登場する偽教師の出現と彼らへの警戒について書かれています。
●「何で勉強するの?」という子供の質問に「ゲームのレベルアップと同じだよ。レベルアップすれば次のステージにも行けるし、強いアイテムももらえるからね。」と鮮やかな答え方をしたお父さんがいたそうです。つまり何事も努力が肝心だという事なのです。
●30代まで、クリスチャン生活は「努力」ではなく「信仰ね。信じる心ね。」と訳のわからない説明を受け、いよいよ困惑した事があります。その時私は「信じれば、きっと神懸かり的な力、言わば超能力が得られ、それで何事も乗り切れる。悪魔にだって勝てる。」と信じ込み疑う事がありませんでした。塾の生徒には「努力」を勧めておきながら、自分は「棚から牡丹餅」式の幸せを求めている矛盾をいつでも感じていました。
●冒頭の聖句に出会い私はほっとしました。神様が望まれる基督者としての資質はやはり努力精進して勝ち取るものだとあったからです。勿論基督者の獲得する幸せは、ここ(5〜8節)で言明しているように「内面の変化」です。
●ペテロは1節で自分の事を「弟子」とは言わずに「しもべ」と呼称しています。しもべは主人に仕える者であり、自らの自由を主人に捧げる者です。基督者が「内面の変化」を獲得できる学習の場、努力の現場はここにあります。つまり、神様に仕える現場です。第一にしもべは主人の指示を的確に把握しなければなりません。第二にその指示を適切な方法で実行しなければなりません。この時、自分の趣味志向で実行はできません。第三に途中放棄はできません。第四に主人の益のみを考え自分の利益は絶対求めてはなりません。これがしもべです。「己を捨てる」事がしもべの一大特徴なのです。
●ペテロはこの時かなりの老齢であり、また、迫害の矢面に立っていました。いつ命を落としてもおかしくなかったのです。ですからペテロのこの書簡は同時に遺書でもあったのです。ペテロは変貌の山でモーセとエリヤと栄光に包まれたイエス様を拝顔するという特異体験をしました。この目で死んだはずのモーセやエリヤを見たということは、私達もまた「永遠に生き続けることができる」という確証で、これが作り話と言うのなら、命を懸けてまで、この道を歩むことはできないはずです。「仮に迫害に遭い命を落としたとしても、死んだ瞬間、肉体という不自由な身体を脱ぎ捨てて『永遠のいのち』に移されると言う特権を基督者は頂いている。」とペテロは告げたかったのです。