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コリント人への手紙第二 10章

コリント人への手紙第二 10章
=本章の内容=

❶パウロに与えれた神の力❷主を己の誇りとせよ

=ポイント聖句=

私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。(10:3~4)

=黙想の記録=

●サタンの攻撃方法は明確で、基督者の連携・継続・連鎖の鎖をあらゆる方法をもって断ち切ることです。パウロとコリント教会に割って入ったのは偽教師でした。この偽教師はまず教会内で有力者と思われる人物に近づき、パウロの使徒職を疑わせる行動を取ったのです。この場合「有力者」とはこの世のスケールで測られた人々で、残念ながらコリント教会内ではこの類の人々が幅を利かせ、基督者の聖潔に至る道を覆い隠し、罪の問題を有耶無耶にしている人たちでもありました。パウロの解く「清貧・聖潔」な生き方は彼らの好むところではなかったのです。またこの偽教師は、貧しい信徒を差別し、顎で使うような人々で、「教会」とこの「貧しき信徒」を切り離すことにも躍起でした。「教会は優秀な聖徒が集まるところ。無学で下賤な者は教会に相応しくない」と主張していたのです。
●「強気にふるまうことがなくて済むように願っています」とのパウロのメッセージは舌下に、「有力者と思しき人も、また偽教師たちの真実の姿を暴露できること」も「それらの人々への厳しい裁きを主なる神様から下していただくこと」も可能であることを含んでいます。偽教師たちの誇りである「知識・経歴・血筋」などは、神様の前には何の価値もないのです。また、彼らには真の基督者を動かせるメッセージもないのです。主なる神様が用いられているか否かは言葉によるメッセージにはなく、主なる神様を第一にしてきた生き方、さらに言うなら、どれほど従順な生き方をしてきたかにかかっているのです。悲しいことに今基督者の世界でもコリント教会に存在した「偽教師同様な人物が跋扈している」のを見かけることがあります。奴隷の様に時間を束縛し、なけなしの財産を、「修養会」「特別奉仕」と称する集金手段で、信徒から吸い取れるだけ吸い取り、後はごみの様に扱うのが偽教師の常套手段です。彼らは「基督者の信仰の成長」など眼中にないのです。かえって「信徒の霊的成長」は己の仕事の邪魔になるだけ。だから、「信徒が霊的に自立する」のを極端に恐れます。
●まさに「見えないくびき」をかけられた状態なのです。あなたは偽教師によるこの新たな呪縛が見えていませんか。