コリント人への手紙第二 9章

コリント人への手紙第二 9章
=本章の内容=
❶好意に満ちた贈り物❷感謝の連鎖
=ポイント聖句=このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。(9:13~15)
=黙想の記録=●8章に引き続き献金のことが述べられています。人生は一日一日の積み重ねであり、今日は昨日と連鎖しています。昨日があるから今日の自分でいられるのです。エルサレムの兄弟姉妹は、パウロの報告によって、聖霊なる神様の働きが日増しに加速的に拡がっていくことを知ります。送り出した人物つまりパウロを始めとする使徒たちが御用の為に大変用いられることを聞き、彼らは神様に感謝するのと同時に、さらにマケドニヤやコリントの教会を通して、神様のみ旨がさらに実現していくように熱心に祈ります。ところが、マケドニヤやコリントの諸教会の方では自分たちの成長や発展が、自分たちの能力を超えていることに気づいていたのです。それは人間業ではなく聖霊なる神様の働きであること。そして聖霊なる神様を動かすほどの、大きなうねりとなっていたエルサレム教会の一致した祈りことも気づいたのです。
●その気持ちに応えようと、今度は彼らが「愛の賜物」をエルサレム教会に送ろうとしています。このような流れを「感謝の連鎖」と呼んでいます。ところで、この「感謝の連鎖」を感じ取れる人と感じ取れない人が確かにいるのです。
●感じ取れる人の信仰の姿勢は「惜しみなく与える」ことなのです。「惜しみなく与える」とは、自分の生活以上に相手の生活のことを心配してあげられる心の持ち方です。感じ取れない人は、まず自分の生活を大事にし、残り物を差し出すという姿勢なのです。これでは「感謝の連鎖」が生まれるはずがないのです。これは何も「献金」だけのことではありません。あなたに与えれた「時間」「賜物」も同様に扱う必要があります。惜しみなく誰に与えたらよいのでしょう。それは聖霊が教えてくださいます。