最新情報

コリント人への手紙第二 5章

コリント人への手紙第二 5章
=本章の内容=

❶地上の幕屋と天にある永遠の家❷人間的な標準でキリストを知る

=ポイント聖句=

そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。(5:9)

=黙想の記録=

●パウロはまず4章に引き続き、私たちの「肉体」と「霊」の関係について述べています。この地上での生き方にも「キリストの復活の原理」が適応されています。「古いもの(old things)」は廃れ過ぎ去ってしまうものですが「新しく造られた者(new creature)」はいつまでも存続するだけでなく、「新しく造られた者」こそが「神様と人間との和解」を説明することができると主張しているのです。
●パウロは肉体の限界を熟知している人でした。しかし聖霊を宿す基督者であったので、その限界を超えることもできたのです。そしてパウロは「主に喜ばれること」を人生の最大目標としてきたのです。
●昭和のオリンピックでは出場者のことを単に「選手」と呼んでいたのが、平成のオリンピックになると俄然「アスリート」の言葉が使われるようになりました。早大の友添秀則教授は、「選手」というのは「選ばれた人たち」。競技団体だとか、選手権大会で選ばれていた人たちのこと意味しています。一方、「アスリート」という言葉の中には、懸命な努力をし、自分自身を磨き、スポーツで自己実現する人と仰られていました。もっと俗っぽい言い方をすると、「自分を極限まで追い込んで、その先の可能性を見つけるのがアスリート。自分が追い込まれると、途端に慌てて右往左往して何も出来ないのが一般選手。」アスリートと一般選手では、目標設定に初めから雲泥の差があるのです。さらに言うのなら「アスリート」には多くの方々を納得させ、また彼らに倣おうとする熱意が生まれものなのです。「一般選手」に留まっているならそれは不可能です。アスリートはまた無言の言葉を持っている人たちなのです。
●様々な窮地に追い込まれた時こそ「信仰が光ってくる人」のことを「信仰のアスリート」と呼びます。あなたは「アスリート」を目指していますか?