コリント人への手紙第二 3章

コリント人への手紙第二 3章
=本章の内容=

❶薦状②新しい契約に仕える者❷御霊の自由

=ポイント聖句=

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。(3:17~18)

=黙想の記録=

●当時、偽使徒や偽預言者や偽教師が出現し、私利私欲のために働いていました。その為初代教会では推薦状を携行する必要がありました。こうした人は使徒としてのパウロに疑義を言い放っていました。しかし、パウロの言動はすでに多くの信徒が知るところであり、すでにコリントに使わされていた主にある兄弟姉妹を通し大きな影響を及ぼしていたのでその必要がないと反論しているのです。
●イスラエル人は律法の下にあって、その律法を懸命に遵守することで先祖からの契約を果たそうとしてきました。これが「文字に仕える」ことでした。しかし、それは後に、他人に見せるために、律法を遵守しているふりだけし、主なる神様に従っているとしたのです。その律法を賜った主なる神様の存在はどうでも良かったのです。つまり形式的な行動だったのです。
●基督者の場合でも、「聖書を良く読み、良く祈り、教会に良く集いえ、良く伝道する」ことをもって、イエス様と交わしている契約を履行していることにはなりません。それすらも自分が勝手に設定した枠の中で満足しているだけなのです。「単なる見せかけ」で御心とはだいぶかけ離れているのです。それではまだ覆いが被さっている状態です。
●「御霊に仕える者」とは、私たちの心に内住しておられる聖霊なる神様を意識し、その方を喜ばせているか、満足させているかを常に心に抱く状態、つまり神の僕となることをパウロは語っているのです。
★重い障害を持った兄弟姉妹や重篤な病気を抱えておられる兄弟姉妹は、「耐えきれない試練と苦悩」の中から、人格的な神様との交わりを持つことができています。何もすることができなくても、御霊を喜ばす術(すべ)を学んでおられるからです。だからこそ私たちが励ましに慰めのために訪問した際、かえって私たちの方が励ましや慰めを受けるのは、私たちに多く欠けている御霊の喜びが溢れているからなのです