コリント人への手紙第二 2章

コリント人への手紙第二 2章
=本章の内容=
❶パウロの喜びとするところ②キリストのかおり
=ポイント聖句=もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度--というのは言い過ぎにならないためですが--あなたがた全部を悲しませたのです。その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。(2:5~7)
=黙想の記録=●「私が悲しませているその人」とは第一の手紙で教会から断行処分を受けた不道徳の人々です。コリント教会はこの厳しい処置を行ったことで病理部分を切り取ったので清々したわけではありません。切り剥がしたので健全になれたとは到底思えなかったのです。また断行された人々もこの処置を受け「誰からも批判非難されることはない」と平気な顔をしていたのではないのです。深い悲しみに押しつぶされそうになり毎日生きている実感さへ持つことができなくなっていたのです。
●教会の暗闇の部分に光が照らされてみると、断行された人々だけではなく、処罰した側にも多くの醜い部分があることに気が付いたのです。教会の一部が傷つくとき、教会全体が傷ついているのです。教会の一部が痛みを覚えるとき、教会全体が痛みを覚えるのです。教会にいのちが通っているからこそ痛みを感じることができるのです。こうした感覚が教会という体に備わっていないのなら教会は死んでいるのも同然なのです。傷や痛みをそのままにしていたのでは前に進むことができないはずです。病気同様、切り取るだけではまた同様の病理的問題が表れてくるものです。それでは全く問題解決にはならない訳です。
●ハーブは揉むとさらに香りを放つのです。香りは生きている証拠です。いのちの香りはいのちがないところからは出てこないのです。