テモテへ手紙第一 5章
テモテへの手紙第一 5章
=本章の内容=
❶もめの取り扱い❷長老への尊敬
=ポイント聖句=やもめとして名簿に載せるのは、六十歳未満の人でなく、ひとりの夫の妻であった人で、良い行ないによって認められている人、すなわち、子どもを育て、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、すべての良いわざに務め励んだ人としなさい。(5:9~10)
=黙想の記録=●教会は神の家族であることはすでに4章でも述べられていますが、本章ではさらに「やもめ」にフォーカスし、当時社会の底辺に位置していた存在にこそ教会は目を向けるべきだと主張しているのです。(申命記10:18)を始め申命記には「みなしご、やもめ、在留異国人」を擁護することが命じられています。ユダヤ人の社会制度の完成度が伺えます。近代まで「姥捨て山」の風習があった日本とは大違いですね。
●本章では「教会のやもめへの配慮」に関してより強い勧めがなされています。教会は彼女たちの生活費を負担していました。現代日本では社会制度が発達していますから教会が負担するという場面は少ないのですが、それでも教会は彼女たちへの配慮をすべきです。ただ「教会が擁護すべきやもめ」に関しては、年齢や信仰生活態度、家屋関係がその基準になっているのは、やもめ自身にもまたその身内にあっても明確なものでした。
●時折、「新約聖書の規定は当時の風習であって現代に通じるものではない」と一刀両断する方がおられますが、本当にそれでよいのでしょうか。さらに「教会がすべきなのは伝道ビジョンの遂行であって社会福祉などはない」と述べるグループがありますが、本当のそれは神様の御心なのでしょうか。イエス様が「あなたの父母を捨て(憎む)」という表現を使っているからと言って、家族をないがしろにして宣教活動に専念せよと言うことにはならないのです。家族を大事にできない人間が様な人間が「神の家族つくり」に関与できる資格などないからです。ところで年長者への配慮が欧米諸国より徹底しているアジア圏(日本を含む)では、家族を大事にしない人物など信用に当たらないのです。
●本章後半戦で「長老(牧会者・監督)への尊敬」について述べられていますが、これもまた家長として神の家族を良く指導するが故の尊敬であって、その職位にあるから尊敬するのではないのです。パウロが伝道旅行によって立ててきた教会の秩序構築をテモテに託しました。テモテの経験不足を手紙に認(したた)めることで、再教育しています