テモテへ手紙第一 4章

テモテへの手紙第一 4章
=本章の内容=

❶若き指導者の特質と本務

=ポイント聖句=

年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。(4:12)

=黙想の記録=

●神の家の土台と柱が盤石であればよいのですが、3章でも述べられた様に教えの風が吹き荒れていたのです。「惑わす霊と悪霊の教え」とは恐らくグノーシス主義と思われます。食欲・性欲・物欲が悪の根源。これらを断ち切る禁欲主義こそが、基督者の生き方と教える教師がテモテの時代にも台頭していたのです。ところがパウロはこんな不思議な言い回しを敢えてするのです。「敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益です。」ここでいう肉体の鍛錬は「修行」のことではなく単に体力作りのことです。青少年がスポーツに打ち込むとき、様々な欲情を昇華できるのも事実です。しかしパウロは寧ろ必要なのは「敬謙の為の鍛錬」であるというのです。
●では「敬謙の為の鍛錬」とは何でしょう?ここで本章が誰に向かって書かれたものであるかを思い出してください。対象はテモテのような若き指導者です。若い指導者がセンセーショナルな「空想話や俗悪な話」をしたがる要因は、一にも二にも功名心です。いつでも何においても他者より抜きん出ていたいという思いなのです。「敬虔」は本来、主人である神様にどこまでも仕えようとする態度のことです。でも教会の中においては、羊である兄弟姉妹を自分に引き寄せようとするのではなく、神様に目を向けさせる為にも、いつでもどこでも彼らに仕えようとする態度がその「敬虔の具現化」なのです。主にある兄弟姉妹が自分よりももっと神様に仕えようとする姿勢が整えられるよう指導することが若い指導者の本務であるとパウロは述べているのです。さらにまた、パウロは若き指導者の資質として「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい」と述べています。「抜きん出るためのパフォーマンス」をするのではなく、愚直なまでに「信仰の基本に忠実である」ことが重要なのです。
●ともすると教職者は自分のメッセージの完成度に自己満足し、このメッセージが独り歩きし自分が名の知れたものになることを期待するものです。羊の成長など二の次三の次なのです。しかしなかなか言うことを聞かない羊をためにつなぎとめておくためには「恐怖心や不安」を煽る必要性もあるのです。それが空想話なのです。これもまたパフォーマンスの一つなのです。