テモテへ手紙第一 3章

テモテへの手紙第一 3章
=本章の内容=
❶牧会者(監督者)の資質❷執事の資質➌敬虔の奥義であるキリスト
=ポイント聖句=それは、たとい私がおそくなったばあいでも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。(3:15)
=黙想の記録=●2章同様教会内での秩序を取り扱っていますが、この章では特に教会のリーダーの資質について取り扱われています。ここに挙げられた監督や執事の資質は、基督者全員が持つべきもので、監督・執事だけ特段要求されているわけではありません。
●「自分の家庭をよく治め」というところから、監督者が妻子持ちを条件とするという規定は出てきません。ここでは、神の教会は神の家とも規定しています。つまり教会は会社でも同友会や委員会でもありません。「家庭」には一般的に夫、妻、そして子どもがいます。夫、妻は子供にとっては父であり母です。保護者ではあっても上司や委員長副院長ではありません。保護者である以上、たといどんなに問題のある子どもであっても、「育児放棄」をするようでは、それはもはや親とは呼べないのです。また子供を「自分の僕」の如く取り扱うなら、それは保護しているのではなく「虐待」していることになります。さらに親は子供の成長為の踏み台でどのように利用されようがそれが親の務めです。しかし、子供が親の踏み台であってはならないのです。子どもを利用して搾取するようなことがあればそれは立派な犯罪行為です。
●残念ながら私たちが見聞きする教会の中にも「神の家」とは言い難い教会があるのもまた事実です。
●また「教会は、真理の柱また土台」と書かれています。この土台や柱があるのでそこにいる住人が守られているのです。この土台や柱が風が吹くとすぐに揺らいでしまうようでは安心して住むことができません。基督教の湧いては消えていく「各種の流行」や「センセーショナルな教え」の風にすぐにたなびいてしまうような教会は、正に土台や柱に欠陥があるとも言えます。基督教に「現代風」を採用することがそれに該当します。