テサロニケ人へ手紙第一 3章
テサロニケ人への手紙第一 3章
=本章の内容=
❶テモテ派遣の理由❷テモテからの報告相互の友情➌テサロニケ教会へのとりなし
=ポイント聖句=また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、きよく、責められるところのない者としてくださいますように。(3:13)
=黙想の記録=●テサロニケでの滞在期間が約1か月ほどでしたが、信仰の種が植えられてからたちまち成長していく姿にパウロはどれだけ安堵したことでしょう。今の様に高速道路が走っているわけではありませんから、陸路の多い第二次伝道旅行は、高い山々、大川、深い谷、そして盗賊など、様々な危険と隣り合わせであったことが容易に伺えます。パウロは今回の伝道旅行にテモテを同行していますが、このテモテはトルコ南部のルステラ出身で、母はユダヤ人、父親はギリシャ人でした。パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたかったので、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせます。エペソ教会に残り、しばらく同教会を指導していましたが、エペソの多神教の教徒の迫害を受け、石を投げられ殺されてしまいます。
●テモテの父がユダヤ教に寛容であったとは言え、ギリシャ人から見れば未開人の習慣に我が子が染まり、さらに殉教してしまうなど想像できたでしょうか。しかし、パウロの人となりをこの父は知らぬわけではありません。それ故に、パウロに我が子を託す決意をした時があったに相違ないのです。パウロの全幅の信頼を受けていたテモテの報告ですから、テサロニケ教会の喜ばしい報告を無条件で聞き入れます。距離より、宗教的文化的な距離がかけ離れている場合が、このギリシャという風土でした。ユダヤ教など異文化を受け入れるには早く、影響を受けやすいのもこのギリシャです。しかし、日本同様真剣にそれぞれの神を信奉していたわけではなく、家内安全商売繁盛の神でつながっているこの世のしがらみが、ギリシャ人を作っていたのです。このギリシャ人の中にいて、テサロニケ教会は、信仰の純潔を保つ点で、容易ではなかったこともうかがえます。。
●この世に染まりやすい基督者もまた、信仰の故の危険を冒すリスクなど受け入れがたいのです。また、自分が蒔いた種で周囲から敬遠されていることをもって「迫害を受けた」などと言うのも、基督者としての苦しみを受けたがらない証拠なのです。「安定した平穏無事な生活を送る」ことを持って神の祝福としているのです。これは御利益宗教となんら変わりがありません。