サムエル記第一30章-2
サムエル記第一30章-2(7-19節)
=本章の内容=
❷べソル川に残った200人➌エジプト人奴隷との出会い❹アマレク人追撃と家族の奪還
=ポイント聖句=8,ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」
19,子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。
=注目聖句=19,子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。(新改訳2017版)
19, And there was nothing lacking(欠けている) to them, neither small nor great, neither sons nor daughters, neither spoil(腐る,台無しにする,略奪する), nor any thing that they had taken to them: David recovered all.(KJV)【直訳】また、彼らに欠けているものはなく、小さいものも大きいものもなく、息子も娘もなく、甘やかしたり、彼らが持っていったものもありませんでした。ダビデはすべてを取り戻したのです。
=黙想の記録=❷7-10節:べソル川に残った200人・・・部下たちがダビデに迫る中、ダビデは毅然とした態度である提案をします。それは主に伺いを立てるということです。主に伺いをたてるとき大祭司にはウリム(白石:NO)とトンミム(黒石:YES)を収めた胸ポケットのついているエポデ(胸当て)を着用させます。二者択一の質問に対し、この2つの石のどちらかを祭司が引き当てることで「YES・NO」の神託となるわけです。ここで記されている質問内容は「2つ」なのですが「3つ」の答えが記されています。ということは①アマレク人の略奪隊を追撃すべきか②探し当て追いつくことはできるか③同胞を救出できるかの3点ではなかったのでしょうか。ところでこの質問の結果、『ダビデの部隊は追撃した』わけですから、大祭司は胸ポケットからトンミム(黒石)ばかり3回を引き当てたことになるのです。確率8分の1。数字で表現すれば大したことではないと思えてくるのですが、これはとても難しいくじ引きの筈です。しかもダビデ本人ではなく厳正を期す大祭司が行ったのですから。この結果にダビデの部下たちは大変驚いた筈です。仮に全てウリム(白石)ばかり立て続けに出れば「ダビデは有罪(石打ちの刑に処すべき)」と言う主なる神様の神託になるのです。アマレクの略奪隊追撃に向かいます。ところが「10,ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡れなかった二百人の者が、そこにとどまった。」とあるように200人は追撃していないのです。ある説によるとこの川は川幅が広く急流であっため体力のないものには渡河できなかったとされています。アフェクからツィクラグへの急ぎ足の帰還は当然体力を消耗させています。特に老齢の者や傷病のあった者には渡河は無理です。彼らとて奪われた家族のことは心配の筈です。無理にでも付いていきたいところですが、かえって足手まといになるのが目に見えていたのでしょう。推測ですがダビデも彼らに待機することを敢えて勧めたのではないでしょうか。ところでこの残った200人については全く別の考え方もできるのです。「10,・・・疲れきって」の原語の意味に「活気がない」とあるところからやはり戦闘意欲がないともとれるのです。つまりこの200人はダビデを排斥し、石打ちので命まで狙おうとした人物達ではないかと言うことです。アマレク人の略奪隊がどこに逃げていったかも判明しないのです。彼らがどのくらいの戦力を有するのかも未確認なのです。危うい戦闘にわざわざ出向くことはないと決め込んでいた人物達かもしれません。家族の奪還に成功してこの場所に戻って来た時にいざこざが起きるのはこのせいかもしれません。
➌11-15節:エジプト人奴隷との出会い・・・アマレク人の略奪隊がどの方向に逃げたのかも把握していないまま追撃しているとふらふら状態のエジプト人を見つけるのです。しかもこのエジプト人は例のアマレク人略奪隊の一員で奴隷だったのです。病気の故に主人に見捨てられた脱水状態のまま放置された瀕死の状態だったのです。アマレクにとってこのエジプト人は使い捨ての消耗品だったのです。ダビデ一行の携帯している食料には限りがあるはずです。しかしこのエジプト人を助け出すところは、やはりイスラエルの高い倫理観を感じざるをえません。このエジプト人との遭遇は偶然なのではありません。主なる神様の配慮です。アマレク人の略奪隊に追いつく最短コースをこのエジプト人は知っているからです。
❹16-19節:アマレク人追撃と家族の奪還・・・難無く追いつき略奪隊の様子を遠目で伺うと、彼らは方々に散らばりながら宴会をしているのです。「その地いっぱいに散って」とありますが、これは隊を崩して武装解除している状態です。さらに泥酔した者達を討ち取るのは容易いなことです。ダビデは一気に攻撃に出ます。略奪隊がどれだけの規模かは記されていません。「17,・・・らくだに乗って逃げた四百人の若者たち」とありますが、「若者たち」とはエジプト人のような奴隷の身分の外人部隊を意味するのかもしれません。無防備の者達を襲う能力はあっても戦闘員とは戦える能力はなかったことを表現したものです。「19,子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。」とありますが、凌辱されることなく無傷で戻って来たことを意味します。付け加えのようになりますが「14,私たちは、クレタ人のネゲブと、ユダに属する地と、カレブのネゲブを襲い、ツィクラグを火で焼き払いました」とあります。略奪したのはツィクラグだけではないのですから、おびただしい量の分捕り物があったことになり、その全てがダビデ一行が手に渡った訳です。これも主なる神様の配慮と言うべきでしょう。しかしこのおびただしい量の分捕り物を前にいざこざが起こるのです。
=注目地名=地名①ベソル川(9):英語he brook Besor;ヘブル語ナハイ・べソル[激流・朗らかな]・・・アシュケロンの下の海に注ぐワディ・シェリア川であると考えられている
=注目語句=語句①疲れ切った(10):英語so faint;ヘブル語パゲイル[かすかな,気が遠くなって,めまいがして,弱々しい,活気のない]