最新情報

サムエル記第一24章-2

サムエル記第一24章-2(8-22節)
=本章の内容=

❷ダビデの申し開き➌サウルの演技

=ポイント聖句=

10,今日、主が洞穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたの目はご覧になったのです。ある者はあなたを殺すようにと言ったのですが、私は、あなたのことを思って、『私の主君に手を下すことはしない。あの方は主に油注がれた方だから』と言いました。

=注目聖句=

10,今日、主が洞穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたの目はご覧になったのです。(新改訳2017版)

10, たった今、それが根も葉もないことだとおわかりになったはずです。先ほどのほら穴の中で、主は、あなたが私に背を見せるようにしてくださったのです。(リビングバイブル)

10, Behold, this day thine eyes have seen how that the LORD had delivered(引き渡した) thee to day into mine hand in the cave.(KJV)【直訳】見よ、今日、あなたの目は、主が今日、あなたを洞窟の中でわたしの手の中にお救いになったことを見たのです。

10, This very day you can see with your own eyes it isn’t true. For the LORD placed(配置した,思いのままにした) you at my mercy back there in the cave(NLT)【直訳】この日、あなたは自分の目でそれを見ることができますが、それは真実ではありません。 なぜなら、主はあなたを洞窟の中で私の慈悲にあずけられたからです

※いずれの訳も「主なる神様がこの状況を用意された」と受け取れる。サウルの暴挙に対して報復する権利がダビデの側にあると主張している言葉のようだ。

=黙想の記録=

❷8-15節:ダビデの申し開き・・・サウルが洞穴から出れば自分の上着が切り刻まれていることはすぐばれてしまいます。「何者かが自分を殺そうとして失敗したのでは?」と思う筈です。隠れ通すことは絶対に不可能です。この洞穴に何者かが潜んでいることが分かれば即攻撃を命じることでしょう。ところで、部下の進言に誘われてサウル王殺害の為に近づいたのに急に躊躇して上着を切り取ることだけに留まったのはあまりにも中途半端です。サウル王殺害を踏み止まらせた理由は何でしょう。それは「私が主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。」との思いです。「人の考える千載一遇のチャンス」と「主なる神様の摂理による導き」は全く異なる事をダビデは瞬時に悟ったのです。しかしここでもう一つの素朴な疑問が浮かびます。それはなぜサウル王の前に飛び出してしまったのかということです。ダビデは一時の誘惑に負け取り返しのつかないことをしてしまったのです。どの道逃げようがないのならここでサウルを襲い殺害しても良かったのです。しかしダビデが取ったのは今この場に飛び出したことの申し開きだったのです。ダビデの申し開きの様子を以下にまとめてみます。

[1]地にひれ伏すことによって自分の主君であるサウル王に恭順の意を表した

[2]「ダビデがあなたに害を加えようとしている」とは虚偽の証言であり、死罪に処すために自分を追跡捕縛しようとするのは明らかに冤罪である。罪のない者の命を奪うのはそれこそが大いなる犯罪行為である。

[3]主なる神様が洞穴の中で一時でもあなたの命を私の意のままにすることを許された。しかし私は敢えてそうしなかった。部下たちの進言の言葉にも耳を貸さなかった。

[4]襲い掛かり殺害しなかった一番の理由は、主なる神様が召命した人物こそサウル王であると認めている。そしてミカルと婚姻したことによりサウル王はわが義父であるからだ。

[5]上着の裾を確認して欲しい。謀反の意志がない証拠としてここにその一部がある。

お気づきでしょうか。ダビデは「サウル王の命を取ろうとし躊躇した」とは言っていないのです。あたかも「この行為はサウル王を殺害する意志がないことの証明のためと予め決めていたものだ。」と言わんばかりです。しかし、これ以外の正当な弁明は外に見つからないのです。行きつくところは「主に油注がれた方を殺すという大罪は犯せない」ということに尽きるのです。黙ってダビデの弁明を聞いているサウルの様子を見て畳み込むようにダビデは言葉を続けます。「13-14, 『悪は悪人のすること』ということわざがあります。(たとえあなたが悪いとしても、)私は手を下すようなまねはしません。いったいイスラエルの王は、だれを捕まえるおつもりなのですか。なぜ、息絶えた犬や一匹の蚤にすぎない者を追いかけ回して、時間をむだになさるのですか。(リビングバイブル)」
『悪は悪人のすること』は少々言い過ぎに聞こえてきます。サウルに遠回しに諫言しているのです「なぜ、息絶えた犬や一匹の蚤にすぎない者を追いかけ回して、時間をむだになさるのですか。」とダビデは言葉を結んでいます。サウルにイスラエルの王としての尊厳を取り戻してほしいとの訴えなのです。「死んだ犬」とは無力で無価値な存在・「一匹の蚤」とは一瞬でひねりつぶせるほど存在の私に対しなぜ3000人もの兵が動員するのですか。このような無駄骨を兵に強いるのは凡そ国王にふさわしいことではないとやんわりと諫言しているのです。

➌16-22節:サウルの対応・・・この個所でサウルが自分の愚かさを認めダビデに対する対応に劇的変化が起こったとは到底思えません。また精神疾患の激情故の行動と捉えるのも違和感があります。なぜなら26章で再びダビデを追撃しているからです。これはあくまでも私の推測ですがこの時のサウルの言動は全て演技と思われるのです。ギブアから飲まず食わずの速足でダビデ追撃に向かった3000人の兵士は疲労困憊していたのです。そこに突然ダビデが出現したのです。サウルはこう想像していたのではないでしょうか。つまり、この辺りの洞穴にはすでにダビデの部下たちが潜んでいてダビデの号令で急襲され大打撃を受けるのではないか。さらにダビデの人気は恐らく精鋭部隊にも届いてこの期に及んで戦いを拒否する者もいるやもしれないのです。一時的な休戦状態にしておかなければ今度は我が身に危険が及ぶのです。ですからこう演技するしかなかったのです。「20-21,おまえが必ず王になり、おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。今、主にかけて私に誓ってくれ。私の後の子孫を断たず、私の名を父の家から消し去らないことを。」と殊勝なことを言ってのけますが腹の中は「ダビデにしてやられた」と憤懣やるせなかったことでしょう。サウルは兵を引き上げていきます。