サムエル記第一20章-2

サムエル記第一20章-2(24-42節)
=本章の内容=
❷矢を射るヨナタン
=ポイント聖句=30-31,王はヨナタンに怒りを燃やして言いました。「このろくでなしめ! どこの馬の骨かもわからんやつの息子に、王座をくれてやるつもりか。自分ばかりか自分の母親まで辱めおって! このわしの目をごまかせるとでも思っているのか。あいつが生きている限り、おまえは王になれないのだぞ。さあ、ダビデを連れ戻して来い。絶対に殺してやる。」(リビングバイブル)
=黙想の記録=❷24-42節:矢を射るヨナタン・・・新月祭になり王宮でも祝宴が設けられました。この宴会に何人集まったのかは不明です。以下は私の推測ですが。サウルはいつもの上座に着席します。サウルの叔父の軍団長アブネルはサウルの左に着席します。ヨナタンはその右の位置つまり王位継承者の位置に座すべきところ、わざわざ立ち上がって空席にしてしまいます。さらに自らはサウル王に相対する臣下の位置に座ります。この着席の仕方はヨナタンが次期国王になることに執着していないことの表明になっているのです。さらに当然ダビデが臨席した場合サウルの右隣に座らなければならないのです。30-31節でサウルがダビデ不在の理由をヨナタンから聞かされ激怒するのですが、その理由の一つがヨナタンのこの座り方にあったと思われるのです。新月祭二日目も着席の仕方は一日目と同じでダビデはそこにいません。そこでサウルはダビデ不在の理由を側近にではなくヨナタン本人に問い正すのです。「28-29:ベツレヘムへ行かせてくれと、ダビデが私にしきりに頼みました。『どうか、私を行かせてください。氏族の祝宴がその町であります。長兄が命じているのです。今、あなたのご好意を得ているなら、どうか私を行かせて、兄弟たちに会わせてください』と言ったのです。それで彼は王の食卓に来ていないのです。」この答えにすぐさまサウルは激怒します。本来側近に理由を述べ王の許可を仰ぐべきところをヨナタンは独断しているのです。この答え方や前述の着席のしかたからヨナタンとダビデの間には盟約が結ばれていること、さらには二人して国王であるサウルの威光を無視していることをサウル王は感じ取ってしまうのです。『30-31:サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「この邪悪な気まぐれ女の息子め。おまえがエッサイの子に肩入れし、自分を辱め、母親の裸の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も確立されないのだ。今、人を遣わして、あれを私のところに連れて来い。あれは死に値する。」』で「この邪悪な気まぐれ女の息子め」は文字通りに解釈すると「お前のこの卑しい気性は私ではなくお前の母から受け継いだものだ」と母親を侮辱するものになります。さらにダビデの狡猾な言葉にのっかり王位をみすみす譲ってしまうヨナタンは本当に愚か者であるとも付け加えているのです。サウルは怒りに任せて「一連のダビデの言動は反逆罪に匹敵するので即刻死罪を申し付ける」と祝宴の場で宣言してしまうのです。ここに至ってヨナタンはサウルの心にはダビデに対して理不尽な殺意だけしかない事に気が付くのです。ダビデが言っていた通りだったのです「32,なぜ、彼は殺されなければならないのですか。何をしたというのですか。」と最後まで公明正大なダビデのことを弁護するのですが、それが反ってサウルの怒りの火に油を結果となり、サウルはヨナタンにまで牙を向けるのです。ヨナタンはサウルの言動がもはや主なる神様の御心から全く逸脱していると感じ父に失望するのです。ダビデがイスラエルにどれほど貢献してきたのかを知りながら嫉妬心でダビデを侮辱し死に追いやろうとする父の態度は人倫にもとるのです。ヨナタンはダビデの命の危険を察知しダビデと打ち合わせしたことを実行します。子供をその場から追いやってからダビデとヨナタンは最期の別れの時を過ごします。「41,子どもが行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。二人は口づけし、抱き合って泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。」ヨナタンが父サウルに失望することは予期していたことですが、それでもダビデは自分が原因となり父子の関係を最悪にしてしまったことに負い目を感じているのです。そして新月祭の出来事が二人の今生の別れのきっかけになってしまったことにダビデは心が引き裂かれる思いだったのです。『42ヨナタンが口を開きました。「元気を出してくれ。私たちは、子どもたちの代まで、永遠に主の御手にゆだね合った仲ではないか。」(リビングバイブル)』とヨナタンは永久の友情を誓うのです。ヨナタンはまるで自分の不運を予知しているかのような言い方をしています。それでもそれを享受しているのです。主なる神様の御心なら今生に別れをことさへ厭わないのです。まさに真の信仰者の態度です。しかし19章で説明したダビデの信仰の脆さという観点からみるとこのダビデの号泣は行き場を失った絶望の様子とも見受けられるのです。
=注目語句=語句①壁よりの席(25):英語a seat by the wall;ヘブル語モシャーブ・キーエル[席・壁]
語句②向かい側(25):英語arose;ヘブル語クンム[起き上がる,立ち上がる]・・・本来順位からヨナタンは父サウルの右隣に座るはずだったが、(立ち上がって)その場所を空席にしたのです。ヨナタンは父と相対する位置に着席したと思われる。この位置は本来臣下が座るべき位置である。