サムエル記第一20章-1

サムエル記第一20章-1(1-23節)
=本章の内容=
❶死に至るまで忠実なヨナタン
=ポイント聖句=13-14 ・・・主が父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。もし私がこれ以上生きるべきではないのなら、あなたは、主の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。
=黙想の記録=❶1-23節:死に至るまで忠実なヨナタン・・・ヨナタンとダビデの間にあったのは主なる神から頂いた兄弟愛です。「8,もし私に咎があれば、あなたが私を殺してください。」とダビデが言及する「咎」とは「ヨナタンの父サウル王に対する反逆行為」のことを指しますが同時に「主なる神様がお立てになったサウル王と言う秩序に対する反抗心」のことも言っています。ダビデは「主なる神様の御心を損なうことは万死に値する」と覚悟しているのです。しかし19章で前述した様に見方を変えると信仰の脆さゆえの必死の嘆願のようにも聞こえてきます。ダビデにとって自分の保身より主の御心の遂行が人生の第一義のはずなのですがここではダビデが単純にヨナタンの無垢な信仰を利用しているようにも思えてくるのです。「13,・・・主が父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。」とあるように次期国王はダビデであることをヨナタンはすでに承知しているのです。「14,もし私がこれ以上生きるべきではないのなら、あなたは、主の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。」とあるようにヨナタンは「主なる神様の御心なら自分の死をも厭わない」覚悟でいたのです。1-16節の二人の会話から察することができるのは、ヨナタンの無垢な信仰とダビデの信仰の脆(もろ)さです。ヨナタンは狂気の父の感情の起伏に翻弄されてはいましたが、よもや自分と交わした「ダビデとの和解」を反故にし息子である自分に内緒でダビデを殺害する計画を実行していたなどとはとても信じがたかったのです。これに対し恐らくダビデは今までの顛末を詳細に語ったことでしょう。「3,・・・『ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう』と思っておられるのです。」の言葉にはこうした父親思いのヨナタンへの配慮があります。ダビデはヨナタンに父サウルの本心を知らせるために次の提案をします。『①「新月祭」にダビデは参加しない事。②「家族で新月の祭りを祝うことを優先にした」ことをダビデ欠席の理由にする。これをヨナタンからサウルに伝言させる③サウルがダビデの欠席の理由を快諾するかあるいは激怒するかによってダビデへの殺害の意志があるかどうかを見極めて欲しい。』ヨナタンはダビデの提案に乗ります。結果を知らせる方法をダビデに言い渡すため、ヨナタンはダビデを臣下にも聞こえない場所に誘い出します。ヨナタンの計画は「①新月祭の三日目に事の次第をダビデに連絡する。ダビデはエベン・エゼルに待機している。②三本の矢を放つ③子供に矢を取りに行かせるがその時ダビデに聞こえる様に合図の言葉を叫ぶ④合図が意味するところは「それ、矢はこちら側にあるぞ」は「すべてが順調で何も心配ない。宴会の席に出てきなさい。」で「もっと先だ。矢はおまえの向こうにある」は「すぐに逃げろ。」このヨナタンの提案がダビデには今生の別れの言葉の様に聞こえたのです。
=注目語句=語句①新月祭(5):英語the new moon,;ヘブル語ホデッシュ[新月]・・・太陰暦の月の最初の日は、焼き尽くす献げ物が捧げられラッパを吹き鳴らしていた(民数記28:11-15)。申命記4:19にあるように天体を含め森羅万象を礼拝の対象にすることを禁止されていたので月を拝んでいたわけではない。ユダヤ暦は月の周期に基づいていた。朔(新月)となる日をその月の一日(ついたち)として日付を数えた。新月は精神的な再生を象徴している。
=注目地名=地名①エゼルの石(19):・・・『Ⅰサムエル7:12この時サムエルは、一つの石をミツパとシェンの間に置き、「ここまで主が私たちをお助けくださった」と言って、エベン・エゼル(「助けの石」の意)と名づけました。(リビングバイブル)』