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サムエル記第一19章-2

サムエル記第一19章-2(11-24節)
=本章の内容=

❷試されるミカルの愛❸サムエルに保護されるダビデ

=ポイント聖句=

17,サウルはミカルに言った。「なぜ、このようにして私をだまし、私の敵を逃がして、逃れさせたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人が、『逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せるだろうか』と私に言ったのです。」

22,サウル自身もラマに来た。彼はセクにある大きな井戸まで来て、「サムエルとダビデはどこにいるか」と尋ねた。すると、「今、ラマのナヨテにいます」という答えが返ってきた。

[戦いの経緯⑤] =黙想の記録=

❷11-17節:試されるミカルの愛・・・ベツレヘムのダビデの実家にミカルは既に嫁いでいたと思われます。ミカルは父を裏切り、指名手配の男ダビデが窓からロープを伝わって逃走するのを助けました。この場面は遊女ラハブがイスラエルの斥候を窓から逃がした事件と酷似しています(ヨシュ2:15)。ラハブは主なる神を信頼するが故の手助けでした。ミカルはダビデを愛する故のとっさの行動ではありましたが、その方法に主なる神様への信頼を見つけることはできません。彼女は等身大のテラフィム(偶像)を置き上部にやぎの毛を使って男性の頭髪に仕立て上げ、あたかもそこにダビデが臥せっているかのように見せることでダビデの逃亡の時間稼ぎをしました。ダビデは難を逃れました。このミカルの偽装工作がサウルにばれてしまった際ミカルは咄嗟に「17,しかたがありません。そうしなければ殺すと、あの人に脅されたのです。(リビングバイブル)」と答えてしまったのです。愛娘が自分を騙したことにもサウルは腹を立てますがミカルのこの返答はかえって火に油を注ぐ結果となってしまったのです。この後ミカルは他人の妻にさせられてしまいます(Ⅰサムエル25:44)。さらに以降ダビデは長年(約10年間)の逃亡生活を送らなければならなかったのです(この時のダビデの心情を歌ったのが詩篇22篇です)。ヨナタンの様に堂々とサウルにダビデの延命を進言できなかったのです。この一連の言動は彼女に主なる神様への信頼が育まれていなかったことの証拠となります。ミカルは父サウルが使っていたのと同様のテラフィムを保持していたことからもそのことが伺えるのです。一説によるとこのテラフィムはラケルが家から盗んだ物(創世記31:34)と同様に彼女の不妊のためのお守りであったと言われています。彼女が生ける誠の神様に信頼を置きダビデを生ける神様に託そうとする信仰があればミカルもダビデもまた異なった夫婦生活が築けたことでしょう。

❸18-24節:サムエルに保護されるダビデ・・・ダビデはラマのナヨテに居るサムエルのもとに避難します。ここにはサムエルが創設した預言者学校があり今でも活発に活動していました。これは懸命な選択でした。サウルはダビデを追って捕らえるために三つの使節団を送りました。サウルはサムエルと絶縁状態でしたが、サムエルが未だにイスラエルの民に影響を与える存在であることは否めません。そこに軍隊を送ったのなら多くの部族長は黙っていないでしょう。軍人ではないとすれば預言者に相対するわけですから祭司達も同行したと推測できるのです。あるいはダビデに好意的な人物も混じっていたかもしれません。ダビデを捕らえようとした人物たちがサムエルを説得しようと出かけたところ、サムエル本人や預言者学校の生徒達または卒業生達に感化されることはありうる話です。「20,・・・神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。」と表現された箇所はそれを物語っています。場合によるとこの使節団はそのままナヨテに残りサウルの元に戻らなかったかもしれません。場合によるとサムエルの指示だったかもしれません、なぜならダビデをサムエルの元から強引に連れ去るようなことをすれば、これもまた部族長達は黙っていないでしょう。ダビデはペリシテから民を何度となく守ってきてくれた英雄ですから。サウルから送られた三度の使者集団はいずれも同様な結果になるので業を煮やしてサウル自身がラマに出向くことになります。「22,・・・サムエルとダビデはどこにいるか」の問いかけにはダビデがサムエルの保護下に居ることがサウルには分かっているのです。自ら出向いてダビデを連れ戻すことはイスラエルの分裂を引き起こし自分の王座も奪い去られかねません。23-24節はサウルが神懸かりの状態になったと解釈されています。私の個人的な意見ですが、これはサウルの苦しい言い訳作りと思われます。サムエルの前で王衣を脱ぎ捨て裸で倒れていた様子は「恍惚状態を装ったもの」と思われるのです。こう振舞えば何もかも有耶無耶にできると踏んだのではないでしょうか。自分がナヨテに来た理由はダビデの捕縛と殺害です。これは国家を思う故ではなく私的遺恨から出ていることをサムエルには見抜かれていると思ったからです。ダビデがサムエルの元から出て来ることでもあるならサウルは追撃することでしょう。ですからこの一連のサウルの行動はその場しのぎの言い訳作りなのです。そこで大きな疑問が残るのです。サウルはサムエルに抗えないのです。ならばなぜサムエルはダビデを匿(かくま)い続けることをしなかったのでしょう。この時ダビデは推定25歳、サムエルは86歳、サウルは59歳です。これも私の推測ですが、次章でヨナタンに救いを求めに行く場面があることから察すると、第一に老齢のサムエルに自分を守りきる実力がないと判断したからではないでしょうか。第二に盟約を結んだヨナタンなら解決することが可能ではないかと判断したからではないでしょうか。残念ながらこの時のダビデは主なる神様の解決を待ちきれなかったと言えるのです。青年期によくある現象は主なる神様に頼らず自力で解決を図る熱病のような情熱です。これがダビデの信仰の脆(もろ)さだったのです。

=注目語句= 語句①テラフィム(13):英語image(KJV), idol(NLT);ヘブル語テラフィム[テラフィム,家族の偶像]

語句②やぎの毛(13):英語goats;ヘブル語エイズ[雌山羊]・・・遠目でみると男性の頭髪の様に見える