サムエル記第一19章-1

サムエル記第一19章-1(1-10節)
=本章の内容=
❶試されるヨナタンの愛
=ポイント聖句=5,彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討ったので、主は大きな勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て喜ばれました。なぜ、何の理由もなくダビデを殺し、咎のない者の血を流して、罪ある者となられるのですか。
=注目聖句=9,わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。(新改訳2017版)
9, とその時、急に、神からの災いの霊が王を襲い、(リビングバイブル)
9, And the evil spirit from the LORD was upon Saul(KJV)【直訳】主の悪霊がサウルの上に臨みました
9, the tormenting(苦しめる、悩ます) spirit from the LORD suddenly came upon him again(NLT)【直訳】すると、主の苦しみの霊が再び彼に臨みました
※この聖句は議論の多い所。私達人間に起こる全ての出来事は①神様によって引き起こされる②悪魔のすることを神様が許されることによって起きるのいずれか。この場合は「悪霊が主なる神様の命を受けてサウルに臨んだ」のではなく「悪霊がサウルに臨むことを敢えて許された」と私流に解釈している。サウルはすでに神様の霊を無視し常にそのお声を心から閉め出している状態なので悪霊が支配するのは容易い。
=黙想の記録=ダビデを殺害したいという狂気の発作が突如として現れまた突如として収まる様子は身内である息子や娘の人生をも引っ掻き回すのです。19章は二人の人物の愛が本物であるかを試される場面です。一人はサウルの息子ヨナタンで、もう一人はダビデに嫁いだサウルの娘ミカルです。
❶1-10節:試されるヨナタンの愛・・・「1,サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。」とありますが、恐らく「王位を狙う反逆者ダビデを死罪にせよ。」とでも宣告したのでしょうか。ダビデなしではペリシテ軍を征することができない事を家臣たちは百も承知なのです。またダビデに反逆の言動は一切無いのですからサウルのこの宣告は家臣を当惑させるのです。しかし敢えてサウル王とダビデの間に立とうという人物は家臣にはいません。ヨナタンは父の狂気に満ちた宣告に端から従う意志はありません。父サウルはヨナタンがダビデに加勢することを快く思っていません。敢えてヨナタンにも宣告を告げたのにはヨナタンに究極の選択をさせる為です。ヨナタンが優れていることは「自分の命に賭けて神の栄光を守り抜く」ことです。父の宣告に神の正義はどこにも見当たりません。ダビデへの嫉妬心がこの狂気の行動を行わせているとヨナタンは判断しているのです。そこでヨナタンはダビデの延命のために行動します。ダビデには身を隠すように伝言し父サウルにはダビデの功績を力説して延命を嘆願するのです。「5,彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討ったので、主は大きな勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て喜ばれました。なぜ、何の理由もなくダビデを殺し、咎のない者の血を流して、罪ある者となられるのですか。」ヨナタンの必死の説得の中で「彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討った」と語っていますが、敵将ゴリヤテを石投げ紐で打倒しペリシテ軍を負い散らかした奇跡的な戦いのことです。この戦いの勝利は確かにサウルの心を痛快な気持ちにさせたはずです。ダビデの勝利を我が物の様に喜んだはずなのです。ところがそのダビデを父は殺害しようとしているのです。律法によれば正当な理由もなく他者を殺害することは殺人罪に当たります。父の下した宣告は正当な理由がなく個人的な遺恨からダビデを殺害そうとするのですから明らかに「あなたは殺してはならない」の六戒を犯したことになるのです。父の宣告に逆らって命を掛けたヨナタンの諫言だったのです。ヨナタンの感動的な雄弁さがサウルの心の目を開かせ、自分の宣告が軽率であったことを認めさせたのです。王子の介入によりサウルとダビデの間に一時的な和解が成立しその結果ダビデは再び公務に戻ります。間髪を入れずペリシテ軍の侵攻を受けますが、ダビデは出撃しペリシテ軍に大損害をもたらします。ところがこの武勲がサウル王の嫉妬心を再び呼び覚まします。ダビデが宮廷に戻るとサウルは再び狂気の発作を起こし、ダビデに槍を投げつけるのです。ダビデは再び逃亡しなければなりません。
=注目語句=
語句①隠れ場(2):英語secret place;ヘブル語セフェル[避難所,隠れ家]