サムエル記第一17章-5

2024年6月25日

サムエル記第一17章-5(40-58節)
=本章の内容=

❺万軍の主の御名によって

=ポイント聖句=[/su_la

45,ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って私に向かって来るが、私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。

[戦いの経緯⑤]
[7]ダビデがゴリアテを石投げで殺し首を取る

[8]サウル軍がペリシテ連合軍を追撃する

[9]ダビデがサウルの前に呼び出される

=黙想の記録=

❺40-58節:万軍の主の御名によって・・・まずダビデの戦い方を見ていきましょう。石投げ(投石紐)は当時一般的な武器の一つであり、古代パレスチナでは幼少期から投石器を習っていた様です。ダビデの推定年齢は20歳でしかも羊飼いをしてきたことから考えても、ダビデが石投げの達人レベルであったことは容易に想像できます。それでもゴリヤテを倒すために5つの石を用意していたことから失敗に備えていたことも想像できます。ゴリヤテも3mほどの槍を持っていたわけですから至近距離では戦えません。ゴリヤテがダビデの血色が分かるくらいの距離とすると約20mほどと思われます。ゴリヤテにはダビデの武器は杖しか見えていなかったようで、接近戦に持ち込めば忽(たちま)ち切り殺せると思っていたようです。そこがゴリヤテの不覚だったのです。「49-50,ダビデは手を袋の中に入れて、石を一つ取り、石投げでそれを放って、ペリシテ人の額を撃った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに地面に倒れた。ダビデは、石投げと石一つでこのペリシテ人に勝ち、このペリシテ人を撃って、彼を殺した。ダビデの手に剣はなかったが。」とあるようにダビデは一発でゴリヤテを倒しているのです。一発で敵を倒すには眉間に当てるしかないのです。仮に一回目を外していたらゴリヤテは額を隠すようになり次の投石は効き目がなくなるのです。確かに熟練のなせる技とも言えるのですが、ダビデは全能の主に願い求めてから石を投げたと想像できるのです。次にゴリヤテとダビデの言動に注目してみましょう。

<ゴリヤテ>
「43,・・・自分の神々によってダビデを呪った」・・・面白いことにゴリヤテが神々に願い求めたのは対戦相手の不運です。自分の武運の為に神々の加勢は不要と言っているのも同じです。ペリシテ人の信奉するダゴンやアシュタロテは豊穣の神ではありましたが軍神ではなかったのです。

<ダビデ>
「45,・・・私は、おまえがそしったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。」「46,・・・すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。」・・・ダビデが思い描く神は「戦陣の神、万軍の主」であり人間の都合で産み出した神ではないのです。最前線におられ自ら戦ってくださる神なのです。ゴリヤテの神はこの世に存在しないのです。しかしダビデの神は今ここに居るのです。ダビデは「万軍の主の御名によって」すなわち、「主からの委任によって、主を信頼し、主の助けを確信し、主の名誉を立証する(生ける誠の神は実在することを証明する)」ために戦うのです。ゴリヤテの様に己の力や経験により武勲を上げるために戦うのではないのです。
ゴリヤテは石が眉間に当たり脳震盪を起しただけでなく、ダビデによって首を刎ねられ確かに殺害されたのです。刎ねた首は敵将ゴリヤテ殺害の証拠でありまたサウルへの戦利品であったのです。あっけないゴリヤテの最期をペリシテ連合軍の全軍の兵士皆が見ていたのです。大混乱がペリシテの兵全体に広がっていきます。イスラエルの神がこの場所に居ることを兵達は察してしまったのです。彼らは難を避けるため我先にと逃げ帰るのです。イスラエル人は彼らを追撃します。ところがサウルは未だに陣地にとどまったままです。ゴリヤテの首をサウルに見せた後、ダビデはそれを故郷ベツレヘムではなくエルサレムに運んでいます。これは推測ですがエルサレムを実効支配していたのは異邦人のエブス人です。このエブス人がペリシテ人と組するのを阻止するための見せしめ的要素があったのです。しかし、この行為はサウルの差し金と思われるのです。またゴリヤテの武具(剣を含む)を天幕に持ち帰ったとありますが、一説によるとダビデ自身の天幕ではなく、幕屋のことを指しているとも言われています。仮にそうだとするとダビデは「本当の武勲は主なる神様にある」ことを示したかった行動と思われるのです。サウルは何度かダビデに会っているはずですが「56,あなたは、あの少年がだれの息子かを調べなさい。」とはサウルがダビデを知らなかったのではなく、異例の褒美の送り手を公式にするための手順だったのです。アブネルはサウルの叔父で政治参謀です。風見鶏の様にころころと態度を変えてしまう人物です。

=注目語句=

語句①石投げ(40):英語sling;ヘブル語ケレー[投石紐]・・・「七百人のえり抜きの兵士からなるこの部隊の皆が左利きで、髪の毛一筋をねらって石を投げても、その的をはずすことがなかった。(士師記20:16)」はベニヤミン族の兵士の様子だが、当時投石または投石紐(スリング)が武器のひとつとなっていたのは疑う余地がない。しかも訓練を積み重ねれば正確に敵を倒すことができたことが上記の聖句からもうかがえる。ミケランジェロ(イタリア)やベルニーニ(イタリア)のダビデ像では肩にかけた投石紐を見ることができる。木の皮を細く裂きそれを編んで太めの一本の紐(ひも)を作り中央に石を載せる楕円形の籠のようなスペースを作っておく。その籠の部分に石を入れて紐をもって遠心力を使って放り投げる。射程距離は川釣り10年のベテランの腕をしてもルアーを落とす時の誤差は0.5mあるという。投石紐の射程距離は50mで、石を正確に的に当てるためには相当の訓練期間が必要と思われる。

=注目地名= 地名①ガイの谷間(52):英語valley;ヘブル語ゲイ[谷、急な谷、狭い峡谷]

地名②エクロンの門(52):英語gates of Ekron;ヘブル語シャエイル・エクロン[門・エクロン(移民, 根こそぎ引き裂かれて)]

地名③シャアライムの道(52):英語Shaaraim,;ヘブル語シェアライム[二重の門]