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サムエル記第一15章-3

2024年6月24日

サムエル記第一15章-3(22-35節)
=本章の内容=

❹断罪されるサウル❺サウルとサムエルの絶交

=ポイント聖句=

22-23,サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」

=注目聖句=

22-23,サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」

=黙想の記録=

❹22-29節:断罪されるサウル・・・サウルが弁明に使った全焼のささげものやいけにえとは主なる神様の臨在を意識して行う行為です。サウルが用意したものはサムエルへの言い訳に過ぎず主なる神様への誠がありません。主なる神様はサウルの言動の一部始終を知らない方ではありません。国王となったサウルに対し主なる神様もサムエルも特別に心を注いでいたのにも拘わらずです。これは正に背信行為です。サムエルはここではっきりとサウルを断罪します。サムエルが「占いの罪」と言ったのには訳があります。ヘブル語で「占い」と「魔術」は同義語です。つまりサウルが用意した「全焼のささげ物やいけにえ」は虚仮威しであり明らかに偶像礼拝の一種だと断罪したのです。またあくまでも自分の言い訳を通そうとする姿勢は「己を神とする偶像礼拝」であると断罪したのです。ここで使われている「偶像礼拝」は「テラフィム」で個人宅での偶像礼拝用具です。一見すると些細な道具にしか見えませんが偶像礼拝用の道具で決して看過する訳にはいきません。恐らくこの場面はサムエルとサウルの二人だけの密室でのやりとりです。サムエルが「サウルは偶像礼拝を犯した」と公言してしまえば「王位剥奪」どころか「犯罪者」扱いになるのです。サウルは霊的な問題よりむしろ民衆の目を恐れているのです。自分がいと高き方の忠実なしもべであるという「孤高の意識」より一時的な「大衆の喝采の甘美さに酔う」ことを好んだ人物がサウルだったのです。「24-25,私は罪を犯しました。兵たちを恐れて、彼らの声に聞き従い、主の命令と、あなたのことばに背いたからです。どうか今、私の罪を見逃してください。そして、私が主を礼拝することができるように、一緒に帰ってください。」「兵を恐れました」「見逃してください」「一緒に帰ってください」など、断罪されたサウルはうわべを取り繕う言葉を並べてサムエルに食い下がります。ですがここに至っても神様に赦しを請う一言もサムエルに取り成してもらう言葉も全く出て来ないのです。サウルの言動にほとほと愛想を尽かしたサムエルは「26,私はあなたと一緒に帰りません。あなたは主のことばを退け、主があなたをイスラエルの王位から退けられたからです。」と冷たくあしらいます。これはサウルとの絶交を意味します。するとサウルは力づくでサムエルを引き留め拘束しようとしたのです。その結果サウルは力任せにサムエルの外套を引きちぎってしまったのです。これがサウルの本性です。サムエルはここでサウルに再度王位の即時剥奪を宣言してしまうのです。

❺30-35節:サウルとサムエルの絶交・・・「30, 私は罪を犯しました」の言葉に主なる神様への誠は一切見られません。続く「しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。」は言葉は丁寧ですが腰にぶら下げた剣を握りながら恫喝しているように私には見えるのです。アマレク人との戦闘が終了したばかりにサウルの王位剥奪宣言はイスラエルを混乱させるだけです。またアガグの処罰をサウルに任せておけないのでサムエルは渋々サウルに同行します。恐らくアガグはサウルに命の保障を告げられていたのでしょう。サウルもまたあわよくばこのアガグを利用してアマレク人を配下に置こうと画策していたのではないでしょうか。しかしサムエルは容赦しませんでした。サウルの不従順を知り抜いていたからです。元を絶たなければサウルは何をしでかすか分からないのです。この日以降サムエルはサウルを神様の手に委ね、サウルを薫陶することを断念しました。自分御手に負えなかったからです。「35,サムエルは死ぬ日まで、再びサウルを見ることはなかった。しかしサムエルはサウルのことで悲しんだ。主も、サウルをイスラエルの王としたことを悔やまれた。」の最期の一文はとても印象的です。ここで「悔やまれた」と使っていますが「激しく悲しんだ」が神様のお心ではないかと思われるのです。悔い改めることを拒否した人物にさえも最期の最期まで心を掛けて下さる。それが神様の慈愛なのです。

=注目語句=

語句①雄羊の脂肪(22)・・・出エジプト22:29が根拠になっているささげもの。脂肪は燃やされ煙となって立ち昇っていくだけだが、全ての部位の中で最も重要視されている。

語句②占いの罪(23):英witchcraft;ヘブル語ケセム[占い,魔術]

語句③高慢(23):英語stubbornness;ヘブル語パツェール[横柄,押し付け,傲慢]

語句④偶像礼拝(23):英語idolatry;ヘブル語テラフィーム[偶像礼拝,テラフィム]・・・小さな家庭の神、あるいは偶像であり、善と悪の幸運の裁定者として崇拝されていた。