サムエル記第一14章-3

2024年6月22日

サムエル記第一14章-3(31-52節)
=本章の内容=

❹兵の愚行❺主なる神様に伺いを立てるサウル❻サウルの家族

=ポイント聖句=

44,サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」
45,民はサウルに言った。「この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。

=注目聖句= [事件の推移③] [11]サウルの誓いへの兵の反動(律法を無視する)

[12]サウルが祭壇を築き形ばかりの儀式を行う

[13]サウルが進撃するか否かを神に伺うが言葉がなかった

[14]イスラエル兵が律法を犯した元凶を追求するサウル

[15]サウルがヨナタンを死罪に命じるが民の嘆願により阻止される

[16]サウルが戦闘を終結させる

=黙想の記録=

❹31-35節:兵の愚行・・・確かにサウルの命令に従い兵達は懸命にペリシテ軍を追討しました。さらにサウルが命じた刻限まで一切の食物を口にしていません。十分に任務を果たしたのです。夕方になりサウルの誓いから解放され、極度に疲れ空腹だったので兵達は分捕り物の家畜をその場で殺し、血が付いた生のまま食してしまったのです。この行為は律法(レビ17:10-14)に抵触しているのです。しかし彼らは呪いを恐れて王の命令を遵守することには命がけでしたが、律法(神の命令)に背くことになんの良心の呵責はありませんでした。ところが兵達の犯した罪を見過ごすことのできない人々がサウルに奉告するのです。サウルはここでも神に忠実であるかのような振りをするのです。兵達はすでに血の付いた家畜を食してしまっているのに、残った家畜をサウルが設置した石の上で屠殺し血をその家畜から絞り出させるという儀式を行わせるのです。大きな石とは言え一度に屠殺できる頭数には限界があります。恐らく長時間を要したことでしょう。この馬鹿げた儀式に付き合わせざるを得ないのはサウルに報復を恐れたからで決して神様に忠実であったわけではないのです。この儀式は単にサウルの良心を満足させただけなのです。しかしこの無駄な時間はペリシテ軍の敗走をただ手伝ったにしかすぎません。恐らく祭壇は家畜の屠殺に利用した大きな石が使われたと思われます。サウルにとってこの祭壇は勝利の記念碑とも言うべきものだったのです。
❺36-48節:主なる神様に伺いを立てるサウル・・・サウルは巧妙を立てようと焦るあまりペリシテ軍追撃の続行を命じようとします。ところが大祭司アヒヤはここで初めてサウルに進言します。以前アヒヤはサウルに命じるがままエポデをつけて主に伺いを立てようとしましたが中断された経緯があり義憤を感じていました。中断するということはアヒヤを虚仮にしたばかりか表向きにも主なる神様を愚弄したことになるのです。また中断した結果が兵達の愚行を引き起こしたとも思われているのです。戦勝記念の祭壇を築いてしまったサウルはアヒヤの進言に乗らざるを得ません。『37,サウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。』とありますが、ここにもサウルの傲慢が色濃く出ています。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」王としての尊厳を維持するために武勲は自分一人のものにしたかったのです。他者を生かして用いることが部下に尊敬される要因となることをサウルはまだ悟っていなかったのです。ところが、サウルが望んでいた神様の回答つまり「進撃せよ」との声は一切無かったのです。回答が無いということは「待機せよ。あるいは中止せよ。」という回答でもあるのです。しかし、サウルはその回答に不快を感じ激昂して『38-39,そこでサウルは兵士の長を集め、「何かまずいことがあったのだ。今日、どんな罪が犯されたのか、はっきりさせる必要がある。イスラエルを救ってくださった主の御名にかけて誓う。罪を犯した者は、たとえわが子ヨナタンであろうと死ななければならない。」(リビングバイブル)のようなお門違いの命令を出してしまうのです。もし神が私たちの祈りを拒まれるならそれは私たちの心に巣食う罪の為である疑い心を吟味する必要があるのです。心に卑しく空しい利得を求める思いがあるのなら、素直に悔い改め、また心からその卑しい思いを排除すべきなのです。もしこの謙遜さが育っていない場合、問題の元凶を他人に責任転嫁しようとする愚行に走らせるものなのです。サウルは息子ヨナタンに責任転嫁しようとしたのです。ところが戦闘に加わった将軍たちや部族の長たちは冷静にもヨナタンの味方をするのです。「45,この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」の言葉がサウルの前に集められた全員から出て来たのです。サウルはこの言葉にぐうの音も出ません。イスラエルの全会衆はヨナタンにこそ主なる神が加勢してくれた真の将軍であることを言ってのけたのです。47節にある様にサウルは確かに多くの戦闘に勝利を収めます。しかしそれらは何れも主なる神による勝利ではなかったのです。

❻49-52節:サウルの家族・・・最後にサウルの家族と親戚が紹介されています。ヨナタン以外はサウル自身の願望を投影しているかのような名前になっています。イシュウィ、マルキ・シュアの名前はここと父サウルとともに戦死した(31:2)ところ以外には見つかりません。サウルの妻アヒノアムは「私の兄は怒っている」というとても奇妙な名前です。名前はここしか出てきません。サウルや息子娘たちに献身的に尽くしてきたと推測されるのです。この家系でよくもヨナタンの様な有能な人物が輩出されたとはとても信じがたい所です。アブベルは10:14で登場してきた「おじ」のことで当時から政治に関心があり以降も何かとしゃしゃり出てくる人物です。「52イスラエル人はサウルの在世中、絶えずペリシテ人と戦い続けました。サウルは勇敢で屈強な若者を見つけると、彼らをみな軍隊に徴用しました。(リビングバイブル)」とあるようにサウルの一生は戦いで明け暮れていました。富国強兵のうち強兵ばかりに気を留めていたようです。残念ながら出会った預言者集団からは人材登用していなかったのです。

=注注目人名==

人名①イシュウィ(49):英語Ishvi,;ヘブル語イェシュビー[彼は私に似ている]

人名②マルキ・シュ(49):英語Malchi-shua;ヘブル語マルキシュエァ[私の王は富んでいる]

人名③メラブ (49):英語Merab;ヘブル語メイラーブ[増加する]

人名④ミカル(49):英語Michal;ヘブル語ミハール[誰が神の様であろう]

人名⑤アヒノアム(50):英語Ahinoam;ヘブル語アヒノエム[私の兄は怒っている]