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サムエル記第一11章-2

サムエル記第一11章-2(5-15節)
=本章の内容=

❷兵の招集➌サウル王政の樹立

=ポイント聖句=

14,サムエルは民に言った。「さあ、われわれはギルガルに行って、そこで王政を樹立しよう。」(新改訳2017)
14続いて、サムエルが呼びかけました。「さあ、ギルガルへ行こう。サウルがわれわれの王であることを、改めて確認するのだ。」(リビングバイブル)

[戦闘の経緯] [1]アンモン人ナハシュのヤベシュ・ギレアデ攻撃・・・ギブアから約90km北北東方

[2]ナハシュの残酷な和睦条件を突き付けられる

[3]サウルに助けを求める・・・ナハシュ7日間の猶予を求める間に長老を使者として送る。

[4]サウルがイスラエル全部族に兵の召集を命じる・・・命令に背けば報復があると勧告

[5]べゼクにイスラエル人兵30万人ユダ族3万人が集結

[6]アンモン人掃討

=黙想の記録=

❷5-11節:兵の招集・・・。この時までイスラエル人はサウルを必要としていなかったのです。各部族が独立した自治権の元に行動していたので国王の義務と特権が理解されていなかったからです。「5,ちょうどそのとき、サウルが牛を追って畑から帰って来た。」とあるようにサウルもまた国王としての意識に欠けていたことが分かります。それは当然なことです。国王としての責務を何も任されていないどころか一般の民衆の支持さへ伺うことがなかったからです。元の生活の中で平穏に暮らしていたわけです。つまりサウルは野心家ではなかったのです。「6その時、神の霊が激しくサウルに下ったのです。サウルは満身を怒りに震わせ、(リビングバイブル)」とあるように、同胞の危機を知るや否や、ヤベシュの住民への憐みの情とナハシュへの憎しみの感情が一気に湧き出してきました。この感情が原動力となり不屈の精神と勇気をもってヤベシュ住民救出の決意させるのです。
【注意点】『神の霊がサウルの上に激しく下った。彼の怒りは激しく燃え上がった。』とあります。気をつけなければならないのは異教徒もこうした憎しみや深い同情から激しい行動を起こす場合があります。イスラム過激派の人々が「聖戦」と称して自爆テロを起こすのもこの感情が原因です。異教徒の彼らからすればこの興奮状態も「神の霊が下った」ことになるのです。キリスト教界でもこれと似た活動を目にすることがありますが、その原点がどこから来たものか十分留意しなければなりません。「再臨運動」「リバイバル運動」などの中には基督者の正しい生活に大きな妨げとなるった時がありました。当然これらの活動とその原点である「興奮状態」は神の霊から出たものではありません。
サウルは国王として初めてイスラエル全部族に召集をかけます。サウルはイスラエル軍を三部隊に分け、夕方にヨルダン川を渡り、一晩中軍隊を行進させ夜明け前(恐らく午前2時から6時の間)にアンモン人の宿営地に着きました。90kmもある道のりを驚異的なスピードで行軍したことになります。イスラエル軍は早朝から正午までアンモン人は三か所から奇襲攻撃し大勝利を収めます。アンモン人は点でバラバラに敗走していきます。

➌12-15節:サウル王政の樹立・・・アンモン人との戦いで大勝利を得たのですから、帰国後イスラエル人はこぞって大祝会でサウルの功績を褒めたたえるべきだったのです。ところが、サウルの側近者と思しき人物達からもサウルに対する以前からの不満分子を粛清するように要求しました。この不満分子はよりによってサムエルがベニヤミン族から王を選んだことに腹を立てていた人物達です。主なる神様の選択に楯突いたことになるのですが、戦争に勝利するまでは側近たちは言い出せなかったのです。『13しかし、サウルは答えました。「今日はだめだ。この日、主はイスラエルを救ってくださったのだから、だれをも殺してはならない。」(リビングバイブル)』とあるように、この時のサウルは非常に賢明で寛大な決断を下します。自分たちの部族が経験してきたような残酷な決断は「新イスラエル王国」にふさわしくはありません。復讐は復讐を生みます。新たな紛争の種となるのです。この決断の表明こそがイスラエルを一つにし、サウルを中心としたイスラエル王国建設のきっかけとなったのは言うまでもありません。民はサウルの決断に神の慈愛さへ感じたことでしょう。『14続いて、サムエルが呼びかけました。「さあ、ギルガルへ行こう。サウルがわれわれの王であることを、改めて確認するのだ。」(リビングバイブル)』ミツペではサウルの即位に多くのつぶやきがありました。しかしこのサウルによる戦いの勝利とサウルの王にふさわしい寛大な処置にイスラエルに大きな喜びが沸き起こり、サウル王政の樹立が正式に行われたのです。

=注目語句=

語句①夜明けの見張り・・・古代のイスラエル人は夜の見張りを3区分して行っていた。それ最初の見張りは日没から午後10時まで続き、二番目の見張りは午後10時から午前2時まで、そして三番目の見張り(夜明け前の見張り)は午前2時から日の出まで続いた。

=注目地名=

地名①ベゼク(8):英語Bezek;ヘブル語ベゼク[稲妻]・・・ヨルダン渓谷の近くにあった。エルサレム近郊。