サムエル記第一9章-2

サムエル記第一9章-2(11-27節)
=本章の内容=

❷両者への配慮➌サムエルのもてなし

=ポイント聖句=

13,・・・民は、あの方が来られるまで食事をしません。あの方がいけにえを祝福して、その後で、招かれた者たちが食事をすることになっているからです。

22,サムエルはサウルとそのしもべを広間に連れて来て、三十人ほどの招かれた人たちの上座に着かせた。

=注目聖句=

20,・・・全イスラエルの思いは、だれに向けられているのでしょう。あなたと、あなたの父の全家にではありませんか。(新改訳2017)

20,・・・今やイスラエルの富はすべて、あなたの手にあるのです。(リビングバイブル)

20,・・・全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。そして、あなたの父の全家にです。(新共同訳)

20,・・・And on whom is all the desire(願い,願望) of Israel? Is it not on thee, and on all thy father’s house?

20,・・・And I am here to tell you that you and your family are the focus(中心・焦点・的) of all Israel’s hopes

=黙想の記録=

❷11-21節:両者への配慮・・・サウルの側もサムエルの側にも双方が出会うまでに主なる神様の細部に至る配慮が見てとれるのです。

[サウルの側]ツフはサムエルの先祖に当たる人物の名前でサムエルはツフ人ということになる。したがって予見者がツフに居るということはサムエルの出生地であるラマと言うことになります。サウルの出生地はベニヤミンのギブアです。ラマとギブアの距離は約4kmで目と鼻の先に居ながらサウルは偉大な預言者の存在を知らなかったのです。無関心だったとも言えるのです。サムエルを探す理由は単なる「道先案内」です。ところが、水汲みの娘たちは『13,・・・あの方がおいでになって、いけにえを祝福されたあとでないと、客人は食事ができませんから。」(リビングバイブル)』とサムエルをラマの住人が深い尊敬を払っている様子を聞き、初めてサムエルが金品で動くような軽薄な予見者でないことを知るのです。

[サムエルの側]ベニヤミン族の町ギブアは士師記19-21章で邪悪な町としてイスラエル民族の地部の様に語られてきた町です。ところが主なる神様は『16,「明日の今ごろ、ベニヤミン出身の者をあなたのもとに遣わそう。その者に油を注いで、わたしの民の上に立つ者としなさい。彼はイスラエルをペリシテ人から救い出すだろう。わたしが民を顧みてあわれに思い、その叫びを聞いたからだ。」(リビングバイブル)』とサムエルに命じるのです。サムエルにとってこの命令は全く予想外であったことでしょう。モーセやサムエルのいたレビ族でもヨシュアがいたエフライム族でもなかったのです。サウルの出自を辿れば五代前のアフィアハが生存していた直前にギブア事件があったのです。ですからサウルはあの悍ましいギブアの住民の末裔となるのです。人間的な見方をすればサムエルが到底受け入れられるような家系ではないのです。しかし主なる神様の御心はあくまでも「ベニヤミン人」だったのです。

ふたりはラマの町の入り口で出会います。入口に向かってくるよそ者の若者サウルが見えるのと同時に主なる神様はサムエルに彼に近づくように命じるのです。サウルが先に声を掛けるとサムエルは旧知の仲の様に親しくサウルに応答します。さらに全く見知らぬ自分よりかなり若輩の者であるにもかかわらず、高台にある自宅に誘い入れたのです。さらに『20, 三日前に姿を消したろばのことは、一切、心にかける必要はありません。もう見つかっています。全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。そして、あなたの父の全家にです。(新共同訳)』のサムエルの言葉にサウルは驚きを隠せません。自分がサムエルの元を訪れた理由とその解決をすでに知っていたのですから。また「全イスラエルの期待は誰にかかっているとお思いですか。あなたにです。」の言葉から見捨てられていたベニヤ民族の回復がサウルの双肩に掛かっているとの勧めがあったのですから。しかしこの言葉がサウルがイスラエルの国王になるという意味を持っていることに気が付くのは次の出会いの時だったのです。『21,サウルは答えて言った。「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、取るに足りないものではありませんか。どうしてこのようなことを私に言われるのですか。」』と礼を尽くしてお礼を言うのです。サウルが「私はベニヤミン人で、イスラエルの最も小さい部族の出ではありませんか。」は卑しい部族の出であることを自覚している言葉でもあったのです。この謙遜な言葉にサムエルは満足を覚えた様です。

➌22-27節:サムエルのもてなし・・・ラマの高き所にはそこでサムエルが預言を放つ会場が設けられていました。そこにはすでにサムエルの預言を待っていたイスラエルの長老と思しき30人が着席していました。サムエルはその上座に何もわからないサウルを座らせ、まるで今日の主人公の様に恭しく接待するのです。集まっている客人はサウルが如何なる人物かは知りませんがサムエルの態度から何かを察したことでしょう。高き所では単なる顔合わせだったようです。サムエルの一連の最高級のもてなしの理由をサウルに話さないわけにはいきません。サムエルはラマの実家にサウルを呼び、誰にも聞かれぬ屋上で顛末を話して聞かせるのです。翌日サウルの従者を先に帰してサウルだけ実家に残します。サムエルはサウルをすぐに実家に帰さなかったのは最大重要事項の「王位」について神の宣告をサウルに正式に伝えるためであり少しでもサウルに自覚を持たせるためであったと想像できるのです。

=注目語句=

語句①高き所(12):英語the high place;ヘブル語バマー[高き所]・・・理由は不明だがでサムエルはラマにある最も高い丘(山)を礼拝場所と定めていたようだ。