サムエル記第一7章-1

サムエル記第一7章-1
=本章の内容=
❶サムエルの宗教改革
=ポイント聖句=6,彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。
=注目聖句=2,箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。(新改訳2017)
2,・・・その間、イスラエルの全家は主に見放されたような悲しみの中にありました。(リビングバイブル)
2,・・・and all the house of Israel lamented after the LORD.(KJV)・・・深く悲しんだ
2,・・・all Israel mourned because it seemed the LORD had abandoned them.・・・見捨てられたように思われて嘆き悲しんだ:ヘブル語:イスラエル/ナハ―(嘆き・悲しむ)/アへイル(邪魔にされて)/イェホバ(主)
=黙想の記録=❶1-6節:サムエルの宗教改革・・・ベテ・シェメシュからキルヤテ・エアリムに契約の箱が運ばれ、アロン直系の子孫アビナダブの家に安置されます。契約の箱はベテ・シェメシュでは衆人が目にする大きな石台の上に置かれました。これでは出エジプト記の金の子牛同様偶像としての取り扱いとなるのです。4章でイスラエル人は契約の箱を幕屋から引き出しあたかも契約の箱自身を力の根源である神々の様に取り扱ってしまいました。これは私の推測ですが、契約の箱を政策の具として二度と利用させない為、主なる神様はサムエルに契約の箱を代々祭司の家系であるアビナダブの私邸に20年間隠すように命じられたのではないでしょうか。これも私の推測ですが、この20年間はサムエルがイスラエル全土を巡り各部族のユダヤ教の再教育を行ってきたと思われるのです。その結果「2,・・・その間、イスラエルの全家は主に見放されたような悲しみの中にありました。(リビングバイブル)」「2,・・・イスラエルの全家は主を慕い求めていた。」というふうに正常な霊的状態に回復されていったのです。その再教育の内容は第一に偶像の除去と偶像礼拝とそれに伴う宗教習慣の排除でした。第二に主なる神様を中心にする信仰生活の回復だったのです。「6人々はミツパに集結し、井戸から水をくみ、主の前に注ぐ大がかりな儀式を執り行い、自らの罪を悔いて、その日一日断食しました。(リビングバイブル)」とあるように、サムエルによる再教育の集大成がミツパでの大掛かりな宗教儀式だったのです。『6,彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。彼らはそこで、「私たちは主の前に罪ある者です」と言った。』の儀式の手順は「贖罪の日」(ヨム・キプール)や「仮庵の祭り」に似ています。ヨム・キプールの起源は出エジプト記でイスラエルが金の子牛を作り礼拝したことに対して山を下りて来たモーセが激怒し金の子牛を礼拝した3000人の民を殺害したことによります。この日は断食を行いながら己の罪をひたすら悔いいる日です。「水を汲み主の祭壇に注いだ」様子は「仮庵の祭り」で「水取りの儀式」が行われるのと似ています。ソロモン時代、大祭司が正式な装束を身にまとい金の杓子をもってシロアムの池から水を汲み、それを神殿にまで運んでいき祭壇に注ぎました。これも推測ですが、この水汲みの儀式の起源はミツパのこの行為からではないでしょうか。ミツパでの大掛かりな儀式はサムエルが久しく絶えていたイスラエルの祭りを復活させたと言えるのです。イスラエルの信仰復興の原点となったのです。しかしサムエルは大祭司ではありません。推測ですが律法に則りエルアザルに命じてこの儀式を執り行わせたのではないでしょうか。
※ミツパの儀式は水によるバプテスマの儀式の原型とも言えます。基督者の信仰の証として行われるバプテスマでは必ず悔い改めと主なる神様への従順を告白します。それから水を注がれます。(浸礼・潅水礼・滴礼)。もちろんこの基督者の儀式は信仰生活のゴールではなくスタートラインと言えます。
人名①アビナダブ(1):英語Abinadab;ヘブル語アビナダーブ[私の父は高貴だ]・・・レビ人の祭司
人名②エルアザル(1):英語Eleazar;ヘブル語エルアザール[神は助けられた]・・・アロン直系のレビ人の祭司。聖書各所で祭司として登場する。出エジプト6:23,ヨシュア14:1,エズラ7:5
=注目地名=地名①ミツパ(5):英語Mizpeh;ヘブル語ミツパー[見張り塔]