サムエル記第一4章-2

サムエル記第一4章-2
=本章の内容=
❷エリの最期➌イ・カボデ(栄光が去る)
=ポイント聖句=18,彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。エリは四十年間、イスラエルをさばいた。
21,彼女は、「栄光がイスラエルから去った」と言って、その子をイ・カボデと名づけた。これは、神の箱が奪われたこと、また、しゅうとと夫のことを指したのであった。
=黙想の記録=❷12-18節:エリの最期・・・戦場から逃げ帰った男が持ち帰ったのは「①イスラエルの大敗と34000人もの戦死者・②二人の息子の死・③神の箱が奪われた」との報告でした。エリはこの戦闘にどのように関わっていたのか一切記録がありません。大祭司はイスラエルに戦闘行為があれば率先して行動しなければならないはずです。しかし全ては大祭司抜きで長老たちの独断専行で実行され、報告もないままなのです。98歳まで大祭司職を務めなければならなかったのは相応しい人材がいなかったからです。ならばサムエルに任せればと思うのですが、二人の息子がそれを阻止していたのではと推測されます。エリにとって敗戦したことや二人の息子の戦死は当然の帰結と思っていた節があります。ある預言者とサムエルから二度も主なる神様からの宣告を受けていたからです。「18, 彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその椅子から門のそばにあおむけに倒れ、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。」とあるようにエリの死はあまりにも突然である意味滑稽と言えます。作者は死の原因を「年寄りで、からだが重かった」と書いています。高齢だから骨がもろかったという理由は分かります。しかし「からだが重かった」と書かれてしまうのはあまりにも不名誉です。高齢になれば体重は減るものです。それが見た目に太っているのなら運動量に見合わないほどの食事をとっていることになります。例の預言者が「よくも親子して最上のささげ物によって肥え太ったものだ。(2:29リビングバイブル)」と指摘していた様に、エリは二人の息子の神の宮での横暴を容認しているばかりか、そのお零れに預かっていたことにもなるのです。しかし転倒してしまうほどの直接の外因は「神の箱が奪われる」ことでした。幕屋を守るのがエリの人生の最大任務であり彼の自負でした。ところが最後の最後に来てそれさえも奪われてしまったのです。歴史に刻まれる失態を犯したのです。折角98歳の長命が与えられていたのにいったいエリは何をしてきたのでしょう。長寿は必ずしも神様の祝福とは言い切れないのです。
➌19-22節:イ・カボデ(栄光が去る)・・・全ての訃報はエリの身内にも届きます。「19エリの息子の嫁に当たるピネハスの妻は出産間近でしたが、神の箱が奪われ、夫としゅうとが死んだという知らせを聞いて、急に激しい陣痛に襲われました。(リビングバイブル)」とあります。彼女は夫がきっと凱旋すると期待していたかもしれません。夫の不倫に相当悩んでいたのではないでしょうか。(2:22)しかし心入れ替えて神の箱と共に出征する勇士を見て、希望が湧いてきたのでしょう。数々の汚名を払拭し、今度こそ立派な祭司となり頼もしい夫になってくれるとの期待です。ところが夫の戦死、舅の突然死、さらに神の箱が奪取されるほどのイスラエルの敗退は彼女を絶望のどん底に叩き落したのです。お産は軽くて済んだのです。しかし彼女は絶望のあまり放心状態となってしまうのです。本来舅や夫が名付け親になるはずですが彼らはもうこの世にいないのです。ですから自らこの名前を付けなければなりません。世継ぎとなる男子が生まれたので、それなりの祝福に満ちた将来を期待するそれなりの名をつけるべきですが、彼女にはそれができません。彼女の第一声は「イ・カボデ(栄光が去る)」でした。何とも投げやりな命名のように思えますが私はここを以下の様に善意に解釈します。「イスラエルの栄光が去ったのは単衣に夫の不徳の致すところ、我が子にこの名をつけることでこの子にも、生きられるのなら私もこの不名誉を負って生きていきます。」との決意表明ではなかったのではないでしょうか。
※4章は「神様抜きの計画と期待」と副題が付けられます。基督者も同様なことをする場合があります。経済的問題に直面すると「宝くじでも買って一気に形勢逆転しよう。神様は当選させてくれるかもしれない。」と思い込み行動に出る基督者もいるのです。これはほんの一例です。困難に見舞われると弱い基督者は神様の御心を求めることなく様々なこの世の手段を用いて脱出を図ろうとします。不幸な状態(試練に遭遇している時期)に我慢できないのです。信仰を試される好機であることを認めようとしないのです。神様の計画が発動される前にこの世の力に拠り頼んでしまうのです。