サムエル記第一3章-2

サムエル記第一3章-2(3:11-21)
=本章の内容=

➌主の託宣❹イスラエル全土の預言者となる

=ポイント聖句=

15,サムエルは朝まで寝て、それから主の家の扉を開けた。サムエルは、この黙示のことをエリに知らせるのを恐れた。

19,サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。

=注目聖句=

19,サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。(新改訳2017版)

19サムエルは成長し、主が常に彼とともにおられました。人々は、サムエルのことばに真剣に耳を傾けました。(リビングバイブル)

19,And Samuel grew, and the LORD was with him, and did let none of his words fall to the ground.(KJV)

19,As Samuel grew up, the LORD was with him, and everything Samuel said proved to be reliable
(NLV)
※新改訳2017版「彼のことばを一つも地に落とすことはなかった」の主語が明らかではないが、リビングバイブルは明らかに民衆を指している。後者を取ればサムエルの祭司や預言者としての実力が広く承認されていることになる。またイスラエル人がようやく主なる神様への信仰に目覚めていく様子がとれる。

=黙想の記録=

➌11-18節:主の託宣・・・サムエルが託された言葉はエリとその息子たちへの裁きを実行に移すというものでした。エリには預言者まで送られて悔い改めのチャンスがあったのです。しかしエリも息子たちも悔い改めには至らなかったのです。この託宣の内容はすでにエリの元に訪れた預言者の言葉と同一のものでした。ですからエリ自身もこの託宣の内容は既に確認済みだったのです。ところが以前は人を介してのものでしたが今回は主なる神様からの直接の言葉です。恐らくサムエルもその預言者の言葉を聞いていたことでしょう。それと全く同一内容だったのです。ところがサムエルは主の託宣を告げるためにエリの元に直行しません。朝が来るまで待ったのです。つまり主の声を聞いた時から一睡もしていなかったのです。これは何を意味しているのでしょう。これは夜明け前に聞いた主の託宣が「サムエルが見た単なる夢」ではなく「現実の出来事である」ことを実証することになるからです。エリを前にすると、エリとエリの子らの不幸な行く末をエリに告げることにサムエルはいったん躊躇しているようです。しかしエリの気迫の前にサムエルは主からの託宣を包み隠さず語ります。サムエルが促したこの行為こそ「預言者としての条件」だったのです。神様の言葉を聞き手に迎合して語るようでは預言者とは言えないからです。「18,・・・その方は主だ。主が御目にかなうことをなさるように。」のエリの言葉には、公正であり正義の神様の計画を安堵の気持ちをもって受け入れている様に思えてなりません。祭司としても親としても失格者であることを十分自覚していました。何事にも優柔不断だったのです。主なる神様が見かねて手を下されるのだということを覚悟していたかのようです。「将来起こることについてつまびらかに説明する」ことは預言の一部であってすべてではありません。サムエルが主の託宣をエリに語った内容もまた預言です。また預言は「自分の思い込みや夢想」を語るのではなくサムエルが彼の預言者の言葉を事前に手にしていたように「聖書にその根拠を持っていなければならない」ものなのです。

❹19-21節:イスラエル全土の預言者となる・・・「19,サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とすことはなかった。」とは自他ともにサムエルがイスラエル全土を指導する実力ある祭司であり預言者となったことを表しています。ところが4章5章ではあたかもサムエルの指導力が試される大きな事件が引き起こされるのです。