サムエル記第一3章-1

サムエル記第一3章-1(3:1-10)
=本章の内容=
❶神の宮が寝床❷主なる神様の声
=ポイント聖句=3,神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。
10,主が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。
3,神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている主の神殿で寝ていた。(新改訳2017版)
3,まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。(新共同訳)
3, And ere the lamp of God went out in the temple of the LORD, where the ark of God was, and Samuel was laid down to sleep(KJV)
3,The lamp of God had not yet gone out, and Samuel was sleeping in the Tabernacle near the Ark of God.(NLT)
※新改訳とKJVは「消される前・消える前」、新共同訳とNLTは「まだ消えていなかった」と訳している。物理的な時刻を表現したもの。幕屋でも神殿でも、ともしびは日没と同時に点火し日出と同時に消灯する慣わしとなっている。その為この文が示すのは明け方近くの暗い時刻ということになる
❶1-3節:神の宮が寝床・・・「1,少年」は「若者・召使・家来」とも訳せます。少なくとも幼児期が過ぎ、宮の中で重要な役割を与えられる程分別が付く年齢であったと予想されます。サムエルは「神の箱が置かれている主の神殿(幕屋)」で寝ていたとあります。神の箱は触れるだけでも死を招くもので安置してあるだけでも危険が伴う場所です。しかも一晩中灯が灯されている訳ですからしっかりした睡眠はとても期待できません。さらに灯皿の油が切れないように最善の注意を払わなければならないのです。転寝(うたたね)などは禁物です。常時緊張を強いられる奉仕だったのです。恐らくサムエルは横になって仮眠をとる程度だったのです。サムエルはこの激務とも思える奉仕を厭うことなく飄々(ひょうひょう)と執り行っていたと思われます。まるで自分に託された任務が天職であるかのように喜んでいたのではないでしょうか。一方エリはどうだったでしょう。目が霞むということは高齢者特有の白内障を患っていたのでは。神の宮での奉仕は後進に譲るべき年齢でしたがそれは困難だったのです。後継者である息子たちはまともに神の宮の奉仕ができなかったのですから。あるいは息子以外に率先した奉仕する人間が居なかったとも推測されるのです。主なる神に奉仕することが軽視されていた時代ですから当然のことと言えます。エリもまた息子たちの為に眠れぬ夜を過ごさねばならなかったのです。
❷4-10節:主なる神様の声・・・主なる神様は三度サムエルを呼ばれましたが、すべてエリが呼びつけたものと勘違いしました。その声の主が主なる神様であることを気づいていなかったのです。三度目にエリの元に言った時、エリから声の主が主なる神様であることを告げられます。不思議に思いませんかなぜ三度も呼びかける必要があったのでしょう。一番大きな理由はエリに声の主が誰であるかを悟らせるためであり、神様が自らの言葉を託せるのはサムエルだけだと知らせたかったからなのです。そして三度目の時、サムエルはエリの言う通りに「10,お話しください。しもべは聞いております」と答えたのです。その時「10,主が来てそばに立ち」話しかけていたのです。「立つ」にはヘブル語で「姿を現す」の意味があります。文字通りご自身を顕現されたとするのならサムエルは存在には気づきながらも頭を地に付けたままその声のみを聞いたものと思われます。
語句①少年(1):英語child;ヘブル語ネエイル[少年,若者,召使,家来]
語句②神殿(3):英語temple;ヘブル語へハール[宮殿,寺院,納骨堂,聖域]・・・シロはエフライム族の相続地にある町であり、エルサレムが建設される前はイスラエルの宗教的政治的な中心地だった。ベテルの北北東およそ15kmにあるセイルンの遺跡がシロとされている。
語句③立つ(10):英語stood;ヘブル語ヤッツサーブ[立つ,姿を現す] =注目地名=