サムエル記第一1章-2

サムエル記第一1章-2(1:9-23)
=本章の内容=
❷ハンナの祈り➌サムエルの誕生❹サムエルをエリに託す
=ポイント聖句=18,彼女は、「はしためが、あなたのご好意を受けられますように」と言った。それから彼女は帰って食事をした。その顔は、もはや以前のようではなかった。
28,それで私もまた、この子を主におゆだねいたします。この子は一生涯、主にゆだねられたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。
❷9-18節:ハンナの祈り・・・「主は彼女の胎を閉じておられた(5,6)」と繰り返して書かれているようにハンナが不妊なのは主なる神様の配慮に拠ることです。しかし不妊であることがあたかも天罰かの様に言われるのは耐え難いことです。ペニンナが妊娠出産を繰り返すごとに不妊状態にあるハンナにはとって、それは精神を病ませるほどの苦痛となって襲ってきたことでしょう。また自分では解決し難い状態が続くとき、「神様は如何に不公平な方なのだ」と憤懣やるせない状態に陥ったことでしょう。こうした精神的圧迫はやがて神様への疑問や不信を生み出していくのは当然なことなのです。しかしハンナの従順は神様に不平を漏らすことさへさせなかったのです。「9シロ滞在中のある夜のこと、夕食後にハンナは宮の方へ行きました。(リビングバイブル)」とあります。推測ですがこうした機会があるごとにハンナは宮で祈っていた思われます。ハンナはたとえそれが近しい者であっても不平不満を呟くことをせず、神様に心を向け心の内を全て知っていただくために祈ったのを常としていたのではないでしょうか。しかしこの日まで神様から何の応答もなく空しく過ごしていたかもしれません。それでも彼女は忍耐深く神様の元に近づいて行ったのです。この忍耐はやがて彼女の信仰の純化をもたらしていくのです。彼女は子供が与えられることを神様に強く願いました。彼女は祈りの中で生まれてくる子を神に捧げる(ナジル人にする)との誓いを立てるのです。ナジル人として捧げるとはこの子供を出汁にして生活の安定を図るためではありません。俗な言い方をすればエルカナの資産をあてにしないことを宣言したのです。人間をあてにせず「養父であられる神様に今後の生活を任せる」ということを意味しているのです。霊的成長を遂げたハンナの姿を神様は捨て置かれませんでした。神様はハンナが涙しながら祈る姿を当時の祭司エリの目に留まらせるのです。残念ながらハンナとは対照的に祭司エリにはハンナの苦悩の様子が単に酒に酔いどれ女の酔狂の様にしか見えていなかったのです。これは祭司エリが如何に霊的盲目状態であったかを表現したものです。また祭司エリがハンナを酔いどれ女と推測する背景には、神殿で酔っぱらいながら宮詣をする人物たちを数多く見てきたからとも言えるのです。祭司エリは民を指導する立場にありながら、霊的腐敗を続けるイスラエルに目を瞑ってきたのです。祭司エリの霊的怠慢を表現したものとも言えます。ハンナは酔いどれ女の酔狂と見られたことに落胆ばかりしていられません。ハンナの「15,私は主の前に心を注ぎ出していたのです。」との真剣な言葉は祭司エリの誤解を解き、純粋な信仰姿勢を少なからず理解できたようです。神様にこれほど真剣に向かう姿をエリは見て来なかったのでしょう。彼はその迫力に押されハンナの祈りが実現されるようにと執成しの祈りを奉げるのです。ハンナはエリの祈りの言葉に大きな確信を持ったようです。曲がりなりにも神に仕える祭司が自分の祈りに確証を与えたのですから。『18「ありがとうございます、祭司様。」ハンナは晴れやかな顔で戻って行くと、食事をして元気になりました。(リビングバイブル)』に現れた態度は神様が自分の祈りに応えて下さったことを強く確信したからです。
➌19-23節:サムエルの誕生・・・ハンナが信仰をもって祈り、サムエルをナジル人として育てるという誓いを聞いた後に、神様は彼女の胎を回復したのです。しかしなぜ「ナジル人」なのでしょうか。エルカナの家族の一員ではなぜいけないのでしょうか。ハンナの生まれてくる子供がエルカナの家族の一員となった場合、恐らくペニンナやその子供達から苛めを受けることは明らかです。命を失う危険性も出て来るのです。「ナジル人にし、かつ祭司エリに託すことを通してエルカナ一家から遠ざけることができる」と踏んだからとも思われます。これが結果的にハンナの祈りに至ったのかもしれません。夫エルカナは家族の恒例行事としてシロに宮詣するのを常としていましたが、宮に上ることはその時点でサムエルを引き離すことを意味します。そこで彼女は夫エルカナに3年間の猶予を申し出るのです。3歳まで引き留めたのはハンナの親心かもしれません。母親らしいことができるのは3歳までと決意していたのです。エルカナはこの時点で子供を授かったいきさつをハンナから聞かされていたことでしょう。神様の介入なしにはこの妊娠出産は起きなかったことを十分理解しているエルカナはハンナの特別な申し入れを許したのです。
❹24-28節:サムエルをエリに託す・・・3年後ハンナは幼子サムエルを連れて宮に上ります。ハンナは一人息子を断腸の思いでエリに引き渡すのです。通常男子は12歳で成人迎えますがその時まで家で父母の薫陶や愛情を受けて当然なのです。しかしハンナは宮に仕える者としてサムエルをきっぱりと手放すのでした。家庭事情を慮るあまりの非情な行動ではありますが、ハンナは愛する息子を神様に託したとも言えるのです。ハンナが我が子との離別の悲しみを表明する代わりに健気にも雄牛を差し出し神様に礼拝を捧げたのです。ハンナのこの行為はひとり子イエス様を十字架に捧げた父なる神様の心を追体験したものです。サムエルをエリに委ねる理由はこんなところにもあるのではないでしょうか。サムソンはまだ記憶に新しい士師の一人でナジル人でした。彼は知らず知らずの間に武勲をたててはいたのですが、母親がこの世に教育を委ねてしまった為に結果多くの道徳的汚点を残しただけで、イスラエルの心を主なる神様に向けることはできませんでした。そこで祭司エリに我が子の子弟教育を託すことでサムエルが名実とも立派なナジル人になることをハンナは期待したのではないでしょうか。
語句①万軍の主(11):英語LORD of hosts,;ヘブル語サバ・イェホバー[軍隊の主] =注目地名=
地名①ラマ(19):英語Ramah;ヘブル語ラマ―[丘] =注目人名=
人名①サムエル(20):英語Samuel,;ヘブル語シェムエール[彼の名前はエル(神)]