ペテロの手紙第一 2章
ペテロの手紙第一 2章
=本章の内容=
危機への備え①御言葉の体験②キリストは教会の礎石③キリストは従う人生の模範
=ポイント聖句=あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。(2:3)
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(2:21)
●当時の基督者は国家規模民族規模の迫害を目前にしています。一見脈絡のない「断片的な勧めの言葉」が次から次へと出ています。ペテロは小アジアで生活している主にある兄弟姉妹の顔を思い浮かべ、一人一人の必要性を書き綴っているのでこうしたスタイルになってしまうのでしょう。逆に言えば兄弟姉妹を十把一絡げ(じっぱひとからげ)には見ていないペテロの細やかさを見ることができるのです。
●『主がいつくしみ深い方であることを味わっている(3節)』にある「味わう」は大変面白い表現の仕方です。「味わう」とは本来「飲食物の味を見る、うまさを楽しむ」という意味ですが、「ためす、体験する、物事の面白み・意味を十分に感じ取る」という使い方もされています。大きな困難が差し迫る中、すでに基督者は「予行訓練としての試練」を受け、さらに「神様の取り扱い」を実体験しているはずなのです。これは、単なる想像や希望の産物ではないのです。つまりこれが迫害への準備なのです。
●本章には「従いなさい、服従しなさい」とありますが、これは「誰かに自由を束縛さても闇雲に隷属しなさい」と言う意味ではありません。基督者にこの言葉が使われるとき、それは「自らの意志で、積極的に、他者の幸せの為に」行動することを意味しています。その為なら「自分の時間や空間を差し出す」ことも良しとするのです。「自分の時間や空間を自分の為に使う」だけの生き方は神様の悲しまれるところです。そこで本章後半ではイエス様の地上生活を例にとり具体的な模範を示しています。イエス様と生活を共にし、その言動を具に見てきたペテロにとって「イエス様の十字架」は「父なる神に真心から従った証」と映っていたのです。「自らの意志で、積極的に、他者の幸せの為に」つまり「服従」もまた迫害に向かう基督者の資質なのです。