ペテロの手紙第一 1章
ペテロの手紙第一1章
=本章の内容=
❶挨拶・書簡の宛先❷試練の備えよ➌ユダヤ人の苦難の歴史から
=ポイント聖句=また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。(1:4)
=黙想の記録=●ガリラヤ湖で漁師をしていた時にイエスに声をかけられ、一番目の弟子となった人物です。姑の癒しとあるので既婚者です。イエス様が捕縛された時、剣を使ってしまった人物でもあります。一本気な所は長所でもあり短所でもありました。カヤパ邸にまで潜入しましたが、それ以上の行動はできないだけでなく、他の弟子同様最終的には逃げ出したのです。エルサレム教会のリーダーではありましたが、パウロには「ユダヤ教回帰派に影響されている」との非難を受けだいぶ悩んでいたようです。直情的行動をしてしまう少々思慮に欠けた人物のようにも思えます。神様はこのペテロを作り変えてくださいました。元々ペテロが異邦人伝道の創始者だったので、ヤコブがエルサレム教会の指導を取るようになると、パウロが種をまいてきた小アジアの教会を巡回するようになりました。ペテロもまた最後まで神様の召命に生きていた人物と言えます。当時の高等教育を受けたパウロとは逆に、片田舎の無学な漁師ペテロが小アジアの教会向けに、このように情感豊かで的確な指示のこもった手紙を送れることは驚嘆に値します。「第二1:21」にあるようにペテロもまた聖霊に動かされた人だから成しえたことに他なりません。
●この書簡に出てくる「信仰の試練」とは、AD70年に向かい雪崩現象のように起こり始めた「ネロ皇帝によるクリスチャン弾圧」のことです。そのため書簡全体から迫害に向かう緊迫感が伝わってきます。ペテロの脳裏には信仰から離反する信徒も現れることも予測していました。「草は枯れ花はしぼむ」はイザヤ40:7の引用で、これもまた「バビロン捕囚」という試練について預言した箇所です。そこでペテロは、この書簡の中で「基督者と言えども様々な苦難がその人生には横たわっている」「基督者の最終着地点はイエス様の待つ御国または再臨である」ことを切節と語って聴かせているのです。」
●ペテロが本書で取り上げた教理と言えば、「三位一体の神(父・キリスト(本書では子なる神の記述はない)・聖霊)」についてくらいなものです。でもこの表現は異端やユダヤ教回帰派に対して、ペテロ自身の立ち位置を宣言したものです。