ヨアブの最期から

なるほどTheBible2024/05/18
=ヨアブの最期から=
Q:ヨアブが祭壇の角を掴んだのは命乞いの為ですか?
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[参考聖書箇所] 列王記第二2章
28,この知らせがヨアブのところに伝わった。ヨアブはアブサロムにはつかなかったが、アドニヤについていたのである。ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。」(新改訳2017版)
31,「では、彼が言うとおりにせよ。祭壇のそばでヨアブを殺し、葬るがよい。」(リビングバイブル)
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A:結論から言えば「NO」です。ヨアブは一時的な延命の為に命乞いをするような人物ではありません。ヨアブの処刑に至るまでの経緯を詳しく見ていきましょう。
「28,この知らせがヨアブのところに伝わった。ヨアブはアブサロムにはつかなかったが、アドニヤについていたのである。ヨアブは主の天幕に逃げ、祭壇の角をつかんだ。」とあります。アドニヤの処刑・エブヤタルの罷免とエルサレム追放が次々と実行されれば次は自分の番になることをヨアブは心得ていました。ここで素朴な疑問が湧いてきませんか。ヨアブはアドニヤ同様なぜ祭壇に逃げ込み祭壇の角を掴んだのかということです。祭壇の角は主なる神様の憐みと慈悲を求める神聖な場所として認められていましたが、律法は反逆者や殺意をもって他者を殺すような殺人者にはその適応を認めていません。律法(出エジプト記21:14)には「しかし殺意を持って計画的に人を殺した者は、たとえわたしの祭壇から引きずり降ろしてでも、殺されなければならない。(リビングバイブル)」とまで規定されているのです。ヨアブは①アブネル②ウリヤ③アブシャロム④アマサの計4人を故意に殺害しているのです。さらにソロモン王に対するアドニヤの謀反に加担しているのです。つまり言い逃れできないのです。ならばなぜこんな愚行を行ったのでしょうか。「ヨアブが祭壇の角に関する律法の知識に欠けていたから」との説を説かれる方がいましたがどうも腑に落ちません。イスラエルの国家存続と発展をいつも念頭に行動するヨアブに律法に知識が欠けていることなど絶対に考えられません。ここからは私の私的解釈になります。28-34節のヨアブ処刑に至るまでの物語に不自然さを感じませんか。「30,いや、ここで死ぬ」とありますが、この場面のヨアブはあまりにも見苦しい。「この期に及んで死にたくないあまりにヨアブが駄々をこねている」と思われますか。ヨアブはイスラエル全軍の総司令官にもなった勇猛果敢な烈士です。命乞いをするようなそんな女々しい態度をとるような人物とは到底思えません。ソロモンはヨアブの様子をべナヤから報告を受け「31では、彼が言うとおりにせよ。祭壇のそばでヨアブを殺し、葬るがよい。」とべナヤに命じています。実はこのソロモンの言葉をヨアブは待っていたのです。祭壇のある場所で人間の血を流すことを律法は許していません。それは人間の血を祭壇に捧げるのは祭壇への冒涜行為つまり異教徒の悪しき習慣です。律法を無視し「神聖なる祭壇でヨアブを殺害しその血を祭壇にかけてしまう行為」は「ソロモンこそ律法を軽視する人物である」ことの証明となるのです。前述した様にヨアブは既にソロモンの心に潜んでいる異教的要素を見抜いていたのでそれを内外に知らせたかったのです。ヨアブはこの目的の為、始めから死を覚悟でこの祭壇に来たとは言えないでしょうか。「32,主は、彼が流した血を彼の頭に注ぎ返される。彼は自分よりも正しく善良な二人の者に討ちかかり、剣で虐殺したからだ。彼は私の父ダビデが知らないうちに、イスラエルの軍の長である、ネルの子アブネルと、ユダの軍の長である、エテルの子アマサを虐殺したのだ。」とのソロモンの死刑判決の理由は父ダビデの遺言そのものです。アブネルにしてもアマサにしても野放図にしておけばいつか手のひらを反すような人物です。危険分子です。罪のないウリヤ殺害を命じたのはいったい誰でしたか。生かして置けば必ず再度謀反を引き起こすようなアブシャロムを処罰できなかったはいったい誰でしたか。ヨアブを殺害するということはイスラエルの良心を消滅させることの様に思えてなりません。こうして考えてみると「敢えて真実を知ろうとしない」ソロモンの方こそ危険な人物とは思えませんか。