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列王記第一10章-1

2025年4月20日

列王記第一10章-1(1-13節)
=本章の内容=

❶シェバの女王の来訪

=ポイント聖句=

1-2,ときに、シェバの女王は、主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。彼女は非常に大勢の従者を率い、バルサム油と非常に多くの金および宝石をらくだに載せて、エルサレムにやって来た。彼女はソロモンのところに来ると、心にあることをすべて彼に問いかけた。

=黙想の記録=

❶シェバの女王は南の国の女王(マタイ12:42)と同一です。シェバ王国が現代のイエメンに位置していたというのが有力説。シェバの女王の来訪に関してはユダヤ人・エジプト人の双方に下記に記した伝説が残されていますが信ぴょう性はありません。シェバがソロモンを表敬訪問したのは、北アフリカ・西アジアでの交易に進出して来たソロモン帝国との衝突を避けるための交渉が主たる目的と思われます。ですからここで言う「難問」とは伝説にあるようななぞかけではなく、「外交・貿易に関する諸問題」を解決するための「議題」と考えられるのです。2節にあるようにおびただしい量の貢物を携えて来たのが何よりの証拠と言えます。こうした意味で見ると3節の表現は、ソロモンの答弁が「シェバの外交・貿易上の諸問題について全て納得のいくものであった」と解釈できるのです。単なる謎解きゲームを喜んだわけではありません。6~9節シェバの女王の弁明を読み解くと、神殿の様子や淡々と行われる宗教儀式の様子からはイスラエル人が信奉する神が非常に高貴な存在でありイスラエル人の徳性はここから生じていることが理解できたのでしょう。イスラエル人の信仰の姿勢が偶像崇拝のような「人間の欲望を追求するだけの下世話な神々信仰」ではないことを感じ取ることができたのでしょう。またソロモンを取り巻く臣下の様子や甲斐甲斐しく接待に飛び回る侍従たちの様子を見るにつけ、隅々まで統制がとれた高度な文明文化を持つ強固な中央集権国家であるとが直感できたのでしょう。シェバの自国に足りないもの・無いものがソロモン帝国にはあるのです。女王シェバはソロモン帝国は決して反抗できるような国家ではないこと、朝貢国の一つとなってもシェバ王国を反映させるにはソロモン帝国と手を携える必要があることを嫌と言うほど悟らせられるのです。因みに120タラントの金は現代の金の相場価格から計算すると594億円となります。(参照東京都の年間6兆千億円)

=注目聖句= 1,ときに、シェバの女王は、主の御名によるソロモンの名声を聞き、難問をもって彼を試そうとしてやって来た。新改訳2017
1.And when the queen of Sheba heard of the fame of Solomon concerning the name of the LORD, she came to prove him with hard questions.(KJV)【直訳】そして、シェバの女王は、主の名に関するソロモンの名声を聞くと、難しい質問で彼を証明するためにやって来た。

=注目語句= 語句①バルサム油(2):英語bare spices;ヘブル語ベッサム[スパイス、バルサム]・・・バルサムは、バームとも呼ばれている。樹木が分泌する、樹脂が揮発性油脂に溶解した、粘度の高い液体。強い香りがある古代エジプト時代から、傷や火傷の軟膏として、乾燥から肌を守る保湿用として、または練香水として使われていた。

=注目地名= =注目地名=
地名①シェバ(1):英語Sheba;ヘブル語シェバ―・・・「シェバ」の所在地は現代でもエチオピア近辺と南アラビアの二説があるが、現代のイエメンに位置していたというのが有力。両地域はまったくの無関係ではない。南アラビアのサバ国と、対岸のエリトリア、エチオピア北部には、両地域の深い関係を示す遺跡や碑文が多数残されている。イスラエル人同様アラビア系の人種で構成されていてアフリカ人ではないという説もある。
=以下Wikipediaからの抜粋=

『タルグム・シェーニー』の記述
『旧約聖書』「エステル記」の『タルグム・シェーニー』(エステル記の二番目のアラム語訳および註釈)はソロモンとシバの女王に関して以下のような異説を載せている。 あるときソロモンは東西の諸王を招いて大宴会を開いた。その酒宴に遅参した鳥のヤツガシラに激怒したが、ヤツガシラの話す驚くほど豊かな東方の都市キトルとその地を治めるシェバの女王に興味を示し、女王に親書を届けるように命じた。その親書には恭順の表敬訪問を女王に命じるもので、来なければ攻め滅ぼすと脅すものであった。女王はまずソロモンへの手紙と贈り物、6000の少年少女を乗せた船を送り出し、自身は陸路で旅立った。ソロモンとガラスの広間で対面した女王だったが、ガラスを水と勘違いして裾をたくし上げたため、毛深い足を見られてしまいソロモンにからからかわれる。それを無視して女王は三つの謎を問いかける。
1. 木の貯水槽に鉄のつるべ、つるべは石を汲み上げて水を流す。
2. それは埃のように土から生まれ養われる。それは水のように流れるが家の中を照らす。
3. その頭を嵐が駆け抜け、大声で泣き叫ぶ。その頭は葦のよう。それは自由人には栄誉の種で、貧乏人には不名誉の種。死せる者には栄誉の種、生ける者には不名誉の種。鳥にとっては喜びの種、魚にとっては嘆きの種。
ソロモンは問いごとにすぐさま「コール墨の容器」、「ナフサ」、「亜麻」と正答した。それ以下は「列王記」の表記と同じである。
『ケブラ・ナガスト』の記述
エチオピアの古代の伝説を記した『ケブラ・ナガスト(Kebra Nagast、王たちの栄光)』にはソロモン王とシバの女王の逸話が、エチオピアの国祖誕生の伝説と関係して記されている。『ケブラ・ナガスト』には「シバ」の単語は出ないが、『新約聖書』の「南の国の女王」とはエチオピアの女王マーケダーであったと紹介される。陸路と海路でさかんに交易を行っていた女王はあるとき、タムリーンという豪商からソロモンの噂を聞き、エルサレムへ旅立つ。王との会見で彼の聡明さを知った女王は、太陽崇拝を捨てイスラエルの神に回心するのだった。6カ月の滞在の後、女王が帰国を望むようになると、彼女との間に子を欲した王は送別の宴会に一計を講じ、料理に香辛料の効いたものや酢を用いたものを多く出した。そして、女王に一夜を共にするよう誘うと、女王は「無理やり襲わないなら」という条件を出し、王は「寝室の物を奪わない限り」約束すると誓った。やがて二人は寝室で横になったが夜半に女王は喉の渇きを覚えて、思わず脇においてあった水差しの水を飲んでしまう。そこを見計らった王は先の条件を口実に、女王との間に一子をもうけることを果たした。帰国して出産した女王は息子の名をバイナ・レフケム(イブン・アルハキームのゲエズ語音訳、“賢者の子”の意)と名付け、これが転訛してメネリクと呼ばれるようになったと言われる。バイナ・レフケムは22歳になるとエルサレムに向かい父と対面する。喜んだソロモンは彼に王位継承を求めるが、それが断られると国内の貴顕を集めエチオピアに第二のエルサレム建国の計画を語る。バイナ・レフケムは新イスラエルの王に即位し、祖父の名を取ってダビデと命名され律法の知識を授けられた。しかし、新王に随行することになった祭司長(最高神官)の息子アザールヤースは突然の事態に不満を持ち、密かに十戒を納めた「聖櫃」(契約の箱、シオン)を盗み出してエチオピアに持っていってしまう。聖櫃は神の御座所でもあったため、この事件は神がエルサレムから離れてエチオピアへ移ることを意味した。ソロモンはその後、神に見放されたことから知恵を失い、女色に溺れ、ついには偶像崇拝に陥りエルサレムは衰退していったという。一方、帰国した新王ダビデはエチオピア首都ダブラ・マーケダー(マーケダー山の意)に到着すると女王から改めて王位を譲られ、これによりイスラエル王家の血を引く新王朝が誕生した。

 

 

列王記第一

Posted by kerneltender