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列王記第一9章-4

2025年3月30日

列王記第一9章-4(20-29節)
=本章の内容=

❹異邦人の取り扱いと軍人❺ファラオの娘❻年三回の祭り

=ポイント聖句=

22,しかし、ソロモンはイスラエル人を奴隷にはしなかった。彼らは戦士であり、彼の家来であり、隊長であり、補佐官であり、戦車隊や騎兵隊の長だったからである。

24,ファラオの娘が、ダビデの町から、ソロモンが彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。

25,ソロモンは、主のために築いた祭壇の上に、一年に三度、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ、それらとともに主の前で香をたいた。彼は神殿を完成させた。

=黙想の記録=

❹22-23節:ソロモンの政策を見る限り、主の命令に服従していたとは到底思えません。第一に与えられた約束の地の一部(ガリラヤ地方)をヒラムに今までの代償として与えてしまったことです。第二は先住民は聖絶しなければいけないという主の命令に背き、彼らに苦役に課しただけでした。一見すると異国人との融和策とも思えますが、この政策がイスラエルを異教文化に染め上げていく重大な要因となっていくのは当然のことだったのです。「22,しかし、ソロモンはイスラエル人を奴隷にはしなかった。・・・」確かにソロモンは、自分の民を奴隷にすることで律法を犯しはしません(レビ25:39)。23節では彼らを戦士として側近として補佐官として労務者の上に立つ監督として職位が列記されています。列王記作者は、イスラエル人を「高貴な仕事に就く支配的な民族」としてわざと描いて見せた様に思えてなりません。奴隷状態で過ごして来たエジプトから出て来た時にはこのような身分制度はありませんでした。つまりダビデやソロモンによって作り出されてしまった身分差別なのです。主なる神が最も嫌う制度だったのですが、イスラエル人は「この人ならぬ奴隷制度」に酔っていたとは思えないでしょうか。
❺24節:「24,ファラオの娘が、ダビデの町から、ソロモンが彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。」は、Ⅱ歴代誌8:11には『ソロモンはファラオの娘をダビデの町から、彼女のために建てた宮殿に移した。「わたしの妻はイスラエルの王ダビデの宮殿に住んではならない。そこは主の箱を迎え入れた聖なる所だ」と考えたからである。』と転居の理由が記されています。でも結局神殿傍の宮殿に転居するのですが。推測ですが神殿建築中に異教徒であるファラオの娘を衆目に晒すことはユダヤ教原理主義者の反感をかうと考えたからです。彼女がこの時点でエジプト王家の人間としての威厳を保つ為、イスラエルの風俗に染まることなく、王家の装束を身に纏い派手なエジプト風の化粧をしていたかもしれません。24節は「ファラオの娘の転居」に「ミロ要塞の建設」が記されていることから、ファラオの娘の居所だったところがミロだったという説もあります。つまり一方では強国エジプトを気にしながらまた一方ではイスラエル人の衆目を気にしていたのです。

❻25節:ここでの取って付けたような「神殿の完成と奉献の記述」は追記の様です。一年に三度
の三度とは「過越祭、七日間の祭り、仮庵の祭り」のことです。ここでの儀式はソロモンが祭司に命じて執り行われたもので、ソロモン自らではありません。アロンの子孫でない人々が主の前で香を捧げるために近づいた時の結果(民数記16:35:コラの子らの反乱事件)をソロモンは理解していたからです。この年三度の儀式はイスラエル各所にあった「高い場所の祭壇」での祭りを行う慣習に終わりを告げることができたのです。「彼は神殿を完成させた」の言葉の意味は、ソロモンによる宗教改革の完成と聞こえてきます。しかしこれもまた中央集権を堅固にするための強制的な手段と言えます。年三回もイスラエル全土から民を集める強制手段として利用したものに過ぎないからです。

=注目聖句=

24,ファラオの娘が、ダビデの町から、ソロモンが彼女のために建てた家に上って来たとき、ソロモンはミロを建てた。新改訳2017

24,ファラオの娘が、ダビデの町から彼女のために建てられた宮殿に移って間もないころ、ソロモンはミロを建てた。 新共同訳

24, But Pharaoh’s daughter came up out of the city of David unto her house which Solomon had built for her: then did he build Millo.(KJV)【直訳】しかし、ファラオの娘がダビデの町からソロモンが彼女のために建てた家に上って来た。それからミロを建てました

24, Solomon moved his wife, Pharaoh’s daughter, from the City of David to the new palace he had built for her. Then he constructed the supporting terraces.(NLT)【直訳】ソロモンは、ファラオの娘である妻をダビデの町から、彼女のために建てた新しい宮殿に移しました。 その後、彼は要塞を建設しました。

=注目語句= 語句①強制労働(21):英語slaves(ESV)奴隷・labor force(NLT)労働力;ヘブル語マース・アバーッドゥ[奴隷として強制奉仕] 語句②アモリ人(20) :英語Amorites;ヘブル語エモリ―[話す[言う]人]・・・主に紀元前2千年紀前半に中東各地で権力を握った諸部族の名称。 アッカド語ではアムル(Amurrū)、シュメール語ではマルトゥ(mar. tu)と呼ばれる。 旧約聖書にはアモリ人もしくはエモリ人の名で登場し、彼らはハムの子であるカナンの子でありカナンの諸部族の一つとされる

語句③ヒッタイト人(20):英語Hittites;ヘブル語ヘイス[ヘトの子孫]・・・カナンの2番目の息子であるヘトから派生した。紀元前 2200年頃〜紀元前2000年頃にアナトリア (現在のトルコ共和国)に流入してきたと言 われています。 その後次第に勢力を拡大 し、紀元前1400年頃にはアナトリアのほぼ 全域を支配下に置く大帝国を築いた。

語句④ペリジ人(20):英語Perizzites;ヘブル語ペレズィー[村に属する]・・・現在のヨーロッパ諸語では、ペリシテ人とは「芸術や文学などに関心のない無趣味な人」の比喩として使用される。 また、パレスチナ(Palestina)は「ペリシテ人の土地」という意味である。

語句⑤ヒビ人(20):英語Hivites;ヘブル語ヘビ―[村々]・・・カナンの6代目の子孫。ハムの息子であり、征服当時、ヘルモン山の近くのカナン北部に住んでいた

語句⑥エブス人(20):英語Jebusites;ヘブル語イェビスィー[エビスの子孫]・・・カナンの3番目の息子の子孫。エルサレムの初期の名前であるエブスの場所またはその周辺に住んでいた。
※おそらく、彼らのイスラエルへの従属度は、各時代(ヨシュア記・士師記)で強弱があったと思われます。しかし、ダビデとソロモンの下で君主制が組織化されたとき、明確かつ恒久的に固定されました。中世ヨーロッパの農奴のように取り扱われていたものと推測されます。
「農奴」=農民は領主から貸与された土地を自身で耕作するために拘束されて(領主の許可なく)移転の自由はなく、さらに賦役や貢納などの義務を負いました。

語句⑦船団(26):英語a navy of ships;ヘブル語オニ―[艦隊、艦船]・・・商船とそれを護衛する軍艦で編成されていたと想定される。

=注目地名=

地名①ミロ(24):英語Millo;ヘブル語ミロウ[城壁,土塁,積み上げる]・・・シェケム近郊。ダビデが建設したエルサレム要塞の一部。ヨセフスは、ソロモンがダビデの城壁をより高く、より強くし、その上に塔を建てたと言っている。

列王記第一

Posted by kerneltender