列王記第一8章-8

列王記第一8章-4)(54-61節)
=本章の内容=
❹民への祝祷(しゅくとう)
=ポイント聖句=59,私が主の御前で願ったこれらのことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの訴えや、御民イスラエルの訴えを正しくかなえてくださいますように。
=黙想の記録=●54節にある様にソロモンは神殿内部に入っていません。祭司ではないからです。ソロモンは跪いて主なる神様に向かって祈りを奉げていました。この姿勢はユダヤ人ならではの姿勢で主なる神へのへりくだりを表現したものです。偶像崇拝の場合はほぼ祈り手は立位のままです。また両手を広げたまま今まで祈っていたのです。この姿勢を長時間続ければ膝も腕も痺れてくるはずです。それを耐えている様子は民にどのように映ったことでしょう。Ⅱ歴代誌7:1-3では天から火が下ってきて捧げた動物をことごとく焼き尽くしたとの記述があり、第二の奇跡が起こっています。集合した民だけでなくソロモン自身もはこれには驚愕したことでしょう。主なる神の臨在を感じざるを得ません。ソロモンの練りに練ったはずの祈りの言葉には、民もソロモン自身も完璧な信仰生活は送れないとの諦めムードさへ伝わってくるのです。潔さを微塵も感じさせないのです。「罪を赦す神」を何度も繰り返したところは、「主なる神に完全には従える者など一人もいない。不完全な信仰生活でも構わないんだよ。」という言い訳にも聞こえてくるのです。
●ところがこの天からの火です。私的な感想を言えば、この天からの火は、「ソロモンの曖昧な信仰告白」に主なる神様が喝を入れたかのように思えてくるのです。56節以降頻繁にモーセ時代のできごとが引用されています。それは「幕屋時代の素朴勝つ純粋な信仰生活を送ります」という改まった信仰告白だったと思われるのです。突然の天からの火で自分の曖昧な信仰告白を見透かされたと感じたソロモンは襟を正さざるを得なかったのです。「58-59節:私たちの心を主に傾けさせ、私たちが主のすべての道に歩み、私たちの先祖にお命じになった命令と掟と定めを守らせてくださいますように。私が主の御前で願ったこれらのことばが、昼も夜も、私たちの神、主のみそば近くにあって、日常のことにおいても、しもべの訴えや、御民イスラエルの訴えを正しくかなえてくださいますように。」には主なる神様の喝に応えたソロモンの悔い改めとも思える殊勝な信仰告白があります。・・・日本人の様に「正月三が日だけ八百万の神を敬えば残りの日々はその存在さへ忘れてもいいい。自分の生活を圧迫しない程度のお賽銭などの犠牲を払えば八百万の神は満足する」という曖昧な信仰生活ではないのです。・・・「昼も夜も」「日常のことにおいても」と言ったように、「一年365日、日々に主なる神の存在をそこかしこで認め、主なる神の命じた言葉の数々に犠牲を払って従う信仰生活を送ります。」という信仰の決意が込められているのです。しかし残念ながらこの襟を正した信仰告白はその場限りのものでした。全国の有力者が集合したこのセレモニーだけの姿にしか過ぎなかったのです。その後のソロモンの人生はおおよそ信仰生活とはかけ離れたものになっていくのです。二度も三度も主なる神様の顕現を目前にしても、「主に委ねる人生」「主の御心に適う人生」を心掛けなければ悪魔に利用される野心が芽生え育つだけなのです。