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列王記第一8章-7

列王記第一8章-6(8:46-53)
=本章の内容=

➌ソロモンの祈り(4)具体的内容⑤⑥

=ポイント聖句=

51,彼らはあなたの民であり、あなたがエジプトから、鉄の炉の中から導き出された、ご自分のゆずりの民だからです。

=黙想の記録=

⑦敵国に捕虜となってしまった人々が祈るとき(46-53)・・・イスラエル人が遠方の地に捕虜となるとはどういう状況なのでしょうか。現代でも軍人や民間人が外国の捕虜となっった場合、まず外交努力で引き渡しを要求するはずです。その際政府は捕虜との引き渡しに際し敵国が示談に応じるなら金品であれば最大限の要求額を呑むことでしょう。でもそれが法外なものなら一戦を交えても同胞を軍事力で取り返すことでしょう。「そんな時、主なる神よ。捕囚になって人々を救い出すために、この王である私を遣わしてください。また、知恵と力をお与えください。」とソロモンは自ら動くことを民に示していないのです。ソロモンの祈りは「捕まったお前たちは罪があるから捕囚は当然の結果なのだ。神に赦しを請うてみよ。神が何とかしてくださる。」と聞き様によってはかなり投げやりに思えるのです。ダビデは自分が犯した罪の為に民が苦しむのを見た時、主に祈り求めました(2サムエル24:17)。もし捕虜になったのが軍人であったのなら、ソロモンが目的を持って戦いに向かわせた訳ですから、この言い方はあまりにも無責任に聞こえてくるはずです。また捕囚された民はイスラエル国家に見放されたと感じざるを得ないのです。こんな無責任な祈りを聞いて民は何の反応も起こしていません。ソロモンの治世においては敵国の捕虜になる事態はありませんでした。それほど異国との平和が維持されていたのです。ですから、国民はこんな異常事態など夢にも思っていなかったのでしょう。あまりにも長丁場の神殿建立の儀式に人々は飽き飽きしていたかもしれません。「51,彼らはあなたの民であり、あなたがエジプトから、鉄の炉の中から導き出された、ご自分のゆずりの民だからです。」は申命記4:20の引用そのものです。「鉄の炉」とはエジプトが厳しい試練と苦痛の場所であったという意味です。鉄の炉は鉄を精錬し強度を増すための道具です。万が一「捕囚」を経験することがあってもそれはイスラエルを鍛え上げるためであるとソロモンは位置付けています。「50,あなたの前に罪ある者となったあなたの民を赦し、あなたに背いた、彼らのすべての背きを赦し、彼らを捕らえて行った者たちの前で彼らをあわれみ、その者たちがあなたの民をあわれむようにしてください。」はまさにバビロン捕囚がやがて起きることを予見しているかのようです。こうした様子から、この個所をバビロン捕囚時代を生き抜いた列王記作者自身の挿入とする説もあります。

=注目語句=

語句①罪に陥る(46):英語sin against;ヘブル語ハター[罪を犯す、逃す、道を踏み外す、間違える] 語句②捕虜(46):英語captive;ヘブル語シャバー[捕縛,捕虜] =注目聖句= 46,罪に陥らない人は一人もいません。ですから、彼らがあなたの前に罪ある者となったために、あなたが怒って彼らを敵に渡し、彼らが、遠くであれ近くであれ敵国に捕虜として捕らわれて行き、
46, 罪を犯さない人間などいませんから、あなたに罪を犯し、あなたのお怒りをこうむって、外国に捕虜として連れて行かれることもあるでしょう。(リビングバイブル)
46,If they sin against thee, (for there is no man that sinneth not,) and thou be angry with them, and deliver them to the enemy, so that they carry them away captives unto the land of the enemy, far or near(KJV)【直訳】もし彼らがあなたに対して罪を犯し(罪を犯さない人はいない)、あなたが彼らに腹を立て、敵に引き渡して、彼らを遠くか近くの敵の地に連れて行くなら、彼らはその捕虜を連れて行くでしょう。
46, If they sin against you—for there is no one who does not sin—and you are angry with them and give them to an enemy, so that they are carried away captive to the land of the enemy, far off or near(ESV)【直訳】もし彼らがあなたがたに対して罪を犯すならー罪を犯さない者などいませんー、あなたがたは彼らに怒って敵に与え、彼らは遠くか近くの敵の地に捕虜として連れて行かれるでしょう
※新改訳2017では捕虜になった人々を「罪ある者」とさらに断定している。日本語聖書も英語聖書も「遠くであれ近くであれ」と捕囚先を記述している。

列王記第一

Posted by kerneltender