列王記第一8章-4

列王記第一8章-4(8:22-30)
=本章の内容=
➌ソロモンの祈り(2)
=ポイント聖句=25,そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。
=黙想の記録=●ソロモンの公式での祈りはこの個所以外に見当たりません。現代のデボーションの様に、御言葉を読み祈る習慣が記されていないのです。ソロモンは神殿外の祭壇の前で至聖所に向かってではなく、「全会衆の前で、天に向かって両手を伸べ広げて主の祭壇の前に立っています (8:22)」2歴代誌6:13では、「青銅の足台(高さ3キュビト:1.5m)・・・の上に立って・・・ひざまずき」と補足されています。ひざまずいたとしても遠くにいる民衆でもはっきりとソロモンが見えます。またソロモンの声が響き渡ったことでしょう。つまり、ソロモンは「民衆の代弁者」として主なる神の前に立っていることを印象付けていることになります。
●23~26節でのソロモンの祈りを要約すると①主なる神は「比類なき神」であり、イスラエル人が「心を尽くして御前に歩む」なら「契約と恵みを守られる」方である②主の宮を建立するというダビデと交わした契約を今ソロモンが成就したのだから今後ダビデ王朝を継続させてほしいということです。①はモーセの時代から伝承された来た戒めで主なる神様と確かに交わした契約事項です。ところが②は前述した様にダビデもソロモンも主なる神のことばを曲解して勝手に思い込んでいる事項です。31節からの祈りもつまるところダビデ王朝の安泰を願う祈りに過ぎないのです。穿った言い方をすればダビデ王朝に服従していさえいればイスラエルの安泰は続くとでも言えるでしょうか。
●「27,それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。」ソロモンは「創造主」の存在を知っているのです。「たかが数mの立像にしか過ぎない異教の神々は神ではない」ということは分かっているのです。残念なことに「知っている」と「信頼する」には大きな隔たりがあるということがその後のソロモンの人生で露呈してしまうのです。
●ソロモン神殿の使用目的は「祈りの場所」です。そしてその場所で捧げられる「叫びと祈り」の主要目的は「罪の赦し」だったのです。ソロモンは民が始めから主なる神に従う人生などありえないと分かっていたのです。イスラエルの歴史からまた父ダビデの人生からそれを悟っていたのです。これらの言葉は表向きには「モーセはイスラエル人に主の命令に徹頭徹尾従えと言っているがそれは無理な注文だ。私はそのようには言わない。イスラエルの神はその寛大さをその歴史から教えているではないか。だから失敗したと思った時はこの神殿に来て赦しを請いなさい。」と言っている訳ですが、裏を返せば、「失敗したら私の所に来なさい。私が解決してあげるから」とエルサレムを中心とした中央集権国家を目指していることを表明したに過ぎなかったのです。
27,それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。(新改訳2017版)
27神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありません。(新共同訳)
27.But will God indeed dwell on the earth? behold, the heaven and heaven of heavens cannot contain thee; how much less this house that I have builded?(KJV)【直訳】しかし神は地上に本当に住むのか。天も天の天も。見よ。私の建てたこの家などなんと不足していることだろう。
27. But will God indeed dwell on the earth? Behold, heaven and the highest heaven cannot contain you; how much less this house that I have built!(ESV)【直訳】本当に神は地上におられるのですか。
見よ。天と至高の天は、あなたがたを包含する事などできないのです。わたしが建てたこの家などなんと不足していることだろう。