列王記第一8章-1

列王記第一8章-1(8:1-8)
=本章の内容=
❶契約の箱の移動❷ケルビムと担ぎ棒
=ポイント聖句=2,イスラエルのすべての人々は、エタニムの月、すなわち第七の新月の祭りにソロモン王のもとに集まった。
7,ケルビムは、箱の一定の場所の上に翼を広げるのである。こうしてケルビムは箱とその担ぎ棒を上からおおった。
●契約の箱をダビデの町シオンから神殿まではわずかに数百mです。Ⅰ列王記6:38によると実際は前年の第八の月まで完成していたのですが翌年の第七の月まで、つまり11か月間この行事は執り行われていなかったことになります。完璧を期するソロモンの性格上、神殿は完成しても調度品が全て整うまで待ったとの説があります。もう一つの説はこうです。このエタニムの月は「仮庵の祭り」と重なります。ならば神殿奉献の時期がイスラエルの三大例祭の一つである「仮庵の祭」の時であったのはソロモンの演出とも思えるのです。「仮庵の祭り」はイスラエル全部族あげてのでの最大行事のはずです。「仮庵の祭り」は、エジプトから脱出した後、約束の地に辿り着くまでの40年間を、荒野で仮庵を建てながら過ごした日々を覚えるための祭りです。同時にこの40年間は生活に何の支障もなかったのは主なる神の配慮が継続されていたことへの感謝を捧げるためでもあるのです。神殿建立を祝うだけに各部族の長達をエルサレムに引っ張り出すより「国家をあげて祭り」に参加させる方が自然の流れと言うものです。さらに言うならダビデ以前イスラエルは絶えず他国との争いで平和な時期はありませんでした。ソロモンが敢えてこの月を選んだのも「今イスラエルには恒久的平和が訪れた」を深く印象付けるためだったとは言えないでしょうか。
●4-6節をみるとダビデの町から神殿敷地内まで運び入れたのはレビ人が主役でしたが、神殿敷地内から至聖所に運び入れたのは「祭司」と明記されています。この点でソロモンは幕屋の規定を寸分違わず行っているのを見ます。また「・・・会見の天幕と、天幕にあったすべての聖なる用具」を運び上げた(4)と明言されていますから、天幕と天幕内部にあった調度品は焼却処分されずに神殿の保管庫の厳重に保管されていたことになります。「一新するからと言って伝統的な品々をおろそかにはしない」というソロモンの演出がここでも光っています。これらの演出は几帳面なソロモンの性格の一面故ですが、逆に言えば「完璧な形式」に拘るのはソロモン流の「完璧な演出」にしかすぎず、異邦人流の装飾に不満を感じていた当時の宗教指導者のガス抜きと思えてくるのです。
●5節には「おびただしい数の動物の犠牲が捧げられ、その数を数え上げることができなかった」ことが表現されています。祭壇に乗せられる犠牲の動物は一度に1・2頭くらいでしょうか。人間の火葬でさへ灰にするには1時間も要します。ましてや約500kgの牛1頭、100kgの羊1頭を燃やし尽くすには1時間を優に超えるでしょう。仮庵の7日間朝から晩まで12時間祭壇で捧げても100から200頭前後と思われるのです。つまり単純作業を何十時間も凝視するのは簡単なことではなかった予想できるのです。穿った言い方をすれば「数えることも調べることもできなかった」との表現は数の多さを言いたかったのではなく「無意味な単純作業が辟易とするほどだった」との作者の思いを吐露したのではないでしょうか。列王記の作者はへブル人への手紙9・10章で言及されているように物量をこれ見よがしに捧げる信仰の浅はかさ、つまりこれ見よがしの実績を誇ろうとする態度に辟易としていたのではないでしょうか。
❷ケルビムと担ぎ棒(6-8節)
●ここに登場するケルビムは、至聖所に安置された二つのケルビムのことです。高さは十キュビト(約5m) 一つの翼の長さは五キュビト(2.5m)で見上げるほど巨大です。この1対のケルビムは神殿入口に向かって真正面を向いており、翼が契約の箱を覆っています。ケルビムを向かい合いに見えるように配置すると、契約の箱が横向きになっていれば担ぎ棒は、ケルビムの足元に隠れるようになってしまい、契約の箱を立て向きにすると、遠近感がないので担ぎ棒は見えなくなります。つまり担ぎ棒はいづれにせよ目立たたんくなるのです。ですから契約の箱が元来移動用になっているなどとは判明しなくなるのです。本来ケルビムは契約の箱の上にお互いに向かい合いになっている小さな像です。至聖所の中心は契約の箱の筈です。神殿の大きさを考えると契約の箱はかなり貧弱に見えるはずです。
●日本人がこの光景を眺めればケルビムこそご神体に見え、契約の箱はまるで賽銭箱に見えてくると思いませんか。こう光景こそソロモンの屈折した信仰心、既に異教文化に影響を受けた信仰心が表されているのです。つまりこの神殿は信仰心の発露ではなく、政治色の強いものなのです。
※参考画像B・C・Dを比較すると、担ぎ棒の位置に違いがあります。
●ヨセフスの書物とⅡ歴代誌5章にはこれらの儀式が執り行われている間(大量の香が焚かれ)、120人祭司達とレビ人等が楽器を演奏し賛美の声をあげていたと記されていますが列王記はこの賑々しい部分を割愛しています。ところが、逆に歴代誌には言及がない「ケルビム」についての詳細があるのも、「形ばかりの宗教儀式」であるとの列王記作者の批判的な書き方と思えるのです。
語句①エタニムの月(2):英語Ethanim、ヘブル語エイサーム[耐える]・・・ユダヤ暦の第7月。現代の10月から11月に相当する。当時も川が流れ続けていたため、この名が付けられた。現代のユダヤ暦の名称はテシュリー。
語句②全会衆(5):英語congregation;ヘブル語エイダァ[会衆、集会]
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