列王記第一7章-6

列王記第一7章-6(7:46-51)
=本章の内容=
❹46-51節:神殿の調度品
=ポイント聖句=46,王は、ヨルダンの低地、スコテとツァレタンの間にある粘土の地でこれらを鋳造した。
51,こうして、ソロモン王が主の宮のためにしたすべての工事が完了した。ソロモンは父ダビデが聖別した物、すなわち、銀、金、各種の用具類を運び入れ、主の宮の宝物倉に納めた。
●鋳造所はエルサレムではなく、直線距離約150kmのヨルダン渓谷にありました。。スコテはヨルダンの東側、ガドの領土にあり、ツァレタンはマナセの領土の西側にあり、スコテのほぼ反対側にあたります。ヨルダン渓谷で鋳造した理由は土壌の性質にあります。ヨルダン渓谷は泥灰土(でいかいど)から構成されています。推定ではこの泥灰土は金属を鋳造する際の溶鉱炉として利用されたと思われます。旋盤を始めとする多くの器具を作るには大規模な溶鉱炉が必要でした。またも粘土と砂は、今でも青銅に使用されている成形材料です。さらに製造過程で発生する煙や有害な蒸気にエルサレムの住民が悩まされることはなかったことでしょう。ヨルダン渓谷は神殿の器具を鋳造するには打ってつけの場所といえるのです。鋳造に携わるのは恐らくユダヤ人以外の異邦人奴隷やヒラム率いる異邦人技術者と推定されます。ですから異教的な装飾であっても何ら気に病むことがなく制作できたのではないでしょうか。
●ここに登場する「香の祭壇・机は杉の木で作られ、金で覆われたもので金そのもので鋳造したわけではありません。出エジプト記25:37では燭台は1台(受け皿は7つ)でしたが、ここでは10台で増えているのです。この数字から分かることは、幕屋から使われていた器具が引き継がれてはいなかったということです。「ソロモンは主の宮にあるあらゆる物を作った。(48)」とあることから一切の神殿の器具は明らかに新しく制作されたものです。ソロモンは明らかに全てを新調したかったのです。一見するとソロモンの神殿建築への熱情のほとばしりが感じられるのですが、「古き伝統は全て排除する」という行き過ぎたソロモンの心情の表れとも言えるのです。神殿に仕える神官たち(祭司等)もソロモンの息のかかった者達で刷新されていたと推察できるのです。つまりソロモンはユダヤの宗教を何から何まで自分の意志通りに操ることができるようにしているのです。信仰心とはかけ離れた政治家としての一面を覗かせている箇所とも言えるのです。またこれらの器具や調度品に使われた金は全て戦利品です。金鉱山から採掘したものではありません。ダビデが敗北したシリア人、モアブ人、アンモン人、ペリシテ人、アマレク人から奉献させた金そのものだったのです。
●これほどの豪華絢爛な神殿を作る意義がどこにあったのでしょう。「幕屋」ではなぜいけなかったのでしょう。ダビデとソロモンは「イスラエル民族をを偶像崇拝から守るためだった」と仄めかしています。日本の仏教寺院に代表される様に、金で覆われた装飾類は人々を驚嘆させることができるのです。豪華絢爛であればあるほど民衆を引き付けることができると思い込んでいたのです。しかしこの思い込みが全く役に立たなかったことはその後にイスラエルの歴史が明らかにしています。またソロモン本人が異教文化にものの見事に染まっていく有様だったのです。
地名①ヨルダンの低地(46):英語the plain of Jordan、ヘブル語ヨルダン・キカール
地名②スコテ(46):英語Succoth、ヘブル語スコーフ[テント・仮設小屋]・・・ヤボク川の渡し場の近く、イスラエル人がエジプトを去ったときの最初の立ち寄り場所
地名③ツァレタン(46):英語Zarthan、ヘブル語ツァレファ[苦痛]・・・イスラエルがカナンの征服のために渡った場所