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列王記第一7章-1

2024年7月24日

列王記第一7章-1(7:1-12)
=本章の内容=

❶ソロモンの宮殿五棟の概要

=ポイント聖句=

2,彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。その長さは百キュビト、幅は五十キュビト、高さは三十キュビトで、それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。

=注目聖句①=

2-3,・・・それは四列の杉材の柱の上にあり、その柱の上には杉材の梁があった。また、四十五本の柱の上にある階段式脇間の屋根は、杉材で葺かれていた。柱は一列に十五本ずつあった。。(新改訳2017)

2-3,・・・天井には大きなレバノン杉のはりが、四列の杉材の柱の上に渡してありました。 3-4三方の壁には、一列に五つずつ三列からなる計四十五の窓がありました

2-3,・・・There were four rows of cedar pillars, and great cedar beams rested on the pillars. The hall had a cedar roof. Above the beams on the pillars were forty-five side rooms, arranged in three tiers of fifteen each.(NLT)【直訳】杉の柱が四列に並び、大きな杉の梁が柱の上に置かれていました。 ホールには杉の屋根がありました。 柱の上の梁の上には45の側室があり、それぞれ15の3段に分かれていました

2-3, upon four rows of cedar pillars, with cedar beams upon the pillars. And it was covered with cedar above upon the beams, that lay on forty five pillars, fifteen in a row. (KJV)【直訳】四列に並んだ杉の柱の上に、柱に杉の梁があります。 そして、その上の梁の上には杉でおおわれていて、45本の柱の上に、15本の柱が並んでいました。

※2-3節の柱の解説を比較すると柱はいったい何列だったのかといよいよ混乱してきませんか。45本÷15本=3列の筈ですが、2節では4列となっています。これでは単純計算して柱の数は60本になってしまうのです。現在でもこれは結論が出ていません。「階段式脇間の屋根(新改訳2017)」とありますがこの正体も不明です。

=黙想の記録=

❶1-12節:ソロモンの宮殿建設・・・ソロモンは神殿を建てるのに7年を費やしました(1列王6:38)が、王宮には13年を費やしています。ソロモンは当時の建築技術の粋を集めて美しい神殿を建設しました。しかし王宮は更に規模においても装飾においても豪華絢爛なものでした。この王宮は単独の建築物ではなく次の5つの建築物から構成されています。
[1]レバノンの森の宮殿(2-5節)・・・[長さ]44.4m×[幅]22.2m×[高さ]13.32mの規模は約300坪で日本の一般的な住宅は50坪ですから6軒分に相当します。また日本のマンションの1階分の高さは3mですから3階分に相当します。日本の重量鉄骨または鉄筋コンクリート造のマンション建設で言うと約8億円の建設費がかかります。レバノンから取り寄せた合計45本の杉の柱が3列に並んでいました。これほどの数の大きな杉材に囲まれた部屋は正に森の中にいるような感覚を作り出すソロモンの演出です。レバノンの森の宮殿には金箔で覆われた木製の大盾(200個)と小盾(300個)が置いてあったとあります(Ⅰ列王記10:16-17)。金の盾をもって戦いに挑むのは実用的とは到底思えません。45本もある柱や壁に吊り下げられていたと想像できるのです。恐らくこの盾もソロモンの威光を表現する装飾品の一部でしょう。レバノンの森の宮殿は王宮出入り口にあったことからすれば、武器庫ではなく待合室や宴会場として用いられたのではないでしょうか。
[2]柱の広間(6節)・・・[長さ]22.2m×[幅]13.2m=約161畳分。恐らく[3]王座の間の玄関部分と思われます。レバノンの森の宮殿でさへその壮麗さに客人は目を見張ったことでしょう。客人は一旦外に出て空を見上げたはずです。客人を謁見の間にずかずかと直接入ることをさせず、一旦静粛にさせて気持ちを落ち着かせる必要があります。その部屋が161畳もある柱の広間だったのです。さらにもう一つの意味は警備上の問題です。そこで警備兵は客人の持ち物検査や挙動を観察したことでしょう。

[3]玉座の間または裁きの広間(7節)・・・玉座の間とはソロモン王と謁見するための「謁見の間」です。「裁きの広間」とも呼ばれています。もちろん一般民衆は入室できません。玉座が据えられていました。国王はここに座し、重鎮がこの周りを囲んでいたことでしょう。国家の財政や国防について議論を交わした場所であり、国王の勅命が下される場所です。また役人の任命式もここで行われたことでしょう。また国賓はここで初めて国王に拝謁する訳です。公人はここまでしか入室を許されません。

[4]ソロモン自身の家(8節)・・・この建物とファラオの娘の家は他の3つの建造物とは城壁の様な壁で区切られていました。ソロモンとその家族は神殿に最も近い位置にあり相当な広さの敷地に居住していました。恐らくファラオの娘以外の正室や側室はソロモンの家に部屋をあてがわれていたと思われます。しかし側室たちはいくつかのグループに分けられ一つの部屋で共同生活を強いられていたと思われます。そこが所謂ハーレムです。またこれらの妻たちが懐妊した場合は宮殿外の場所に住まわせられたのではないかと推測されます。子育ての光景は他の妻たちの嫉妬の原因にもなるからです。恐らく赤子の声が宮殿に響くことはありえなかったことでしょう。つまり宮殿には人間らしい営み(家族)は掻き消されていたことでしょう。子供たちにとってはソロモンは国王ではあっても父親としての影は薄く、それ故に家族関係はまず築けなかったものと思われます。ソロモンの家は女性たちの厳しい序列社会が展開していたことでしょう。ソロモンの寵愛を受けることだけが彼女たちの希望であり生きる目的だったのです。ですから女性としての魅力が減退したり女性としての役目に応じられなければその場所から有無を言わせず追放されなければならなかったのです。こんな生活空間に住んでいる人間たちに凡そ家族の親愛の情などあるわけもありません。すなわち国民を家族として慈しむ思いなど一欠けらも無くなってくるのは当然なのです。
[5]ファラオの娘の家(8節)・・・ファラオの娘は宮殿奥の間にありました。恐らく他の婦人たちとは別格扱いだったと思われます。それはエジプトとの特別な外交関係があったからです。恐らくエジプトからの使者はここで特別なもてなしを受けていたことでしょう。また交易などの密談が行われていたのもこのファラオの娘の家であった思われます。

=注目語句=

語句①レバノンの森の宮殿(2):英語the house of the forest of Lebanon;ヘブル語バイヤス・ケイェール・ラバノン

語句②キュビト(2):英語cubits;ヘブル語エァマー・・・ひじから指先までの長さ1 キュビット(一般)0.444m(神聖) 0.518m

 

 

 

 

列王記第一

Posted by kerneltender