列王記第一6章-1

列王記第一6章-1(6:1-6)
=本章の内容=
❶480年❷神殿と脇屋
=ポイント聖句=4,神殿には格子を取り付けた窓を作った。
=黙想の記録==黙想の記録=
❶1節:480年・・・イスラエルの子孫がエジプトの地から出てきてから480年目に神殿建築が開始されたとの意味です。ところが出エジプトの年代がいつであったのかはとても曖昧なため480年と言う数字は今でも論争の的になっています。一説によればモーセに40年、ヨシュアに17年、士師に299年、エリに40年、サムエルとサウルに40年、ダビデに40年、ソロモンに4年と主要な人物のイスラエルを統治した年数で計算するとその合計は480年になります。しかしこの説にしても士師記の時代にペリシテ人が支配した期間を差し引いたものかまたそのまま加算しているのかはとても曖昧なのです。ソロモンの即位した年をBC971年とする神殿建築の開始はBC967年となります。
❷2-6節:神殿と脇屋・・・ソロモン神殿を幕屋の東西南北の寸法で比較するとちょうど2倍の大きさになっていますが高さは3倍です。現在の建造物で言えば30キュビトは5階建てビルの天辺に相当し、10キュビトは2階ベランダにあるフェンスの位置くらいです。現代風に言えば幕屋が「約26坪(51畳)の総工費約1800万円の3SLDK平屋建て」程度でソロモン神殿は「1階床面積103坪(206畳)の5階建て総工費5億円のマンション」と言うことになります。これに続く玄関ポーチは幅20キュビト突き出しで10キュビト。現代流で言えば17坪(34畳)で平屋2LDK分です。
幕屋との違いは大きさだけではありません。幕屋の場合聖所も至聖所も日光が完全に遮断されていました。「4,神殿には格子を取り付けた窓を作った。」とあるように聖所の部分には日差しが入るようになっていますが、至聖所に窓はありません。この窓は現代の様にガラスがはめ込まれている訳ではありません。悪天候の際の風雨の影響を受け辛くするため外側は狭く内側に行くほど少しずつ広がっていく漏斗状の構造をしていました。すると入り込む日光がその光をより分散され反って明るくなるのです。聖所と至聖所は観音扉で仕切られていました。この扉を開ければ日差しは中まで飛び込み、中にあった調度品をまぶしく照らすことができた筈です。聖所も至聖所も金箔が貼られていた筈ですから、昼間に中に入ればと眩いばかりだったことでしょう。幕屋の場合至聖所は「主の栄光」で輝いていましたが、金箔を貼られたソロモンの至聖所に「主の栄光」の必要はありません。至聖所が輝いて見えるようにソロモンが設計者ヒラム(ヒラム王とは別人物)の手を借りて荘厳に見える様巧みに演出したものです。5-6節には脇屋の説明があります。神殿は内側に柱が一本もありません。これだけの規模の建造物の内側に柱が無ければ外側から働く力強風や地震でもあれば内向きに崩壊してしまうのは目に見えています。そこで脇屋を設け神殿の壁の強度を増した訳です。こんな大きな神殿を建てることが無ければ不要なものです。人の手(この場合はヒラムの建築技術)で支えられなければ健全な状態ではいられないのです。
語句①ジブの月(1):英語Zif;ヘブル語ズィブ[輝度]・・・1年の2番目の月の名前で、4月から5月に相当する。
語句②窓(4):英語windows of narrow;ヘブル語はローン・アテ―マ[窓・狭い(閉じた)]
[古代ユダヤ人の長さの測定の関する規定]
テファッハ(複数形はテファヒム)=1手幅[指4本分]で8.9cm
アマ(複数形はアモット(アンマ):キュビト)=6手幅[指24本分]で53.3cm
東西30アモット×南北10アモット×高さ10アモット=15.9m×5.33m×5.33m
[神殿の寸法]東西60キュビト×南北20キュビト×高さ30キュビト=31.98m×10.66m×15.99m
Solomon’s Temple(Messages of Christ)