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列王記第一5章-1

2024年7月2日

列王記第一5章-1(5:1-12)

=本章の内容=

❶ヒラムとの盟約

=ポイント聖句=

10-11,こうしてヒラムは、ソロモンに杉の木材ともみの木材を、彼が望むだけ与えた。ソロモンはヒラムに、その一族の食糧として、小麦二万コルと上質のオリーブ油二十コルを与えた。ソロモンは、これだけの物を毎年ヒラムに与えた。

=ヒラムに送り続けた物品= 11-12節に出て来る数値を考えてみます。レバノン杉等の建築資材を受領する代償にソロモンがヒラムに送った食料等が尋常ではない数値なのです。ソロモンは毎年、ヒラムの家族に20000コルの小麦と20000コルのオリーブ油を提供しました。ちなみに20000コルは現代の度量衡で46万リットル(230リットル×20000)となります。現代のタンクローリー(30000リットル)で16台分です。ラクダ1頭の積載量は200kg。小麦粉の比重は0.55ですから46万リットルは253000kg。ラクダ1265頭分になります。オリーブ油の比重は0.9ですから46万リットルは414000kg。ラクダ2070頭分になります。古代イスラエルの穀倉地帯はバシャン(ガリラヤ湖周辺)。そこからツロまでは陸路で約110kmです。ラクダが荷物を背負って一日に進める距離は約40km前後ですから1回の往復で7日以上はかかったことでしょう。一度にこれだけのものを送り届けることが可能とは思えません。恐らく1年の量を数回に分けて運んだことでしょう。道中盗賊に遭遇する可能でもあるわけですから軍隊に保護させたとも思われるます。

=建築資材の運搬経路= 木材:ツロ~(海路)~ヤッファ―(陸路約65km)―エルサレム
石材:シェバリム(アイの近く)―(陸路約15km)―エルサレム

=黙想の記録=

❶1-12節:ヒラムとの盟約
[1]神殿建設について・・・黙想の記録「Ⅱサムエル記7章-1」で記述しましたが、ダビデに対して「Thou shalt not build me an house to dwell in(KJV) (Ⅰ歴代誌17:4)【直訳】あなたはわたしの住む家を建ててはなりません。」リビングバイブルでは「わたしのしもべダビデに、わたしのために家を建てる必要はない、と言いなさい。わたしは神殿には住まない。イスラエル人をエジプトから連れ出した日以来、わたしの家はずっと幕屋(神のための天幕)だった(Ⅱサムエル7:5-6)。」と主なる神様は明言されているのです。明らかに神殿建築は必要ないと命じておられるのです。ところがダビデもソロモンも自分たちに都合の良い解釈をしているのです。「ダビデは戦いに明け暮れ多くの血を流して来たから神殿建築にふさわしくない。よって息子ソロモンに神殿建築を任す。」と言う意味ではありません。Ⅱサムエル記7章に登場する「家を造る」とあるのは建造物のことではありません。「造る」はヘブル語でバナー「構築、再構築、確立、継続」を意味しています。ですからここで言う家は「家系」または「王朝」を指しています。単に次期国王であるソロモンのことだけのことではなく今後のダビデ王朝を指しています。そのことをダビデもソロモンも曲解しているのです。神殿建築は異国の王たちに倣った政策以外の何物でもありません。ペリシテ人は半人半獣の神ダゴンの為に壮麗な神殿を建てたことや大国エジプトの神殿の向こうを張り国家の威信を内外に広める為だけのもので神殿建築は信仰心の欠片もないのです。

[2]ヒラムとソロモンの思惑・・・ツロは長らくエジプトの支配下にありました(BC1700年―BC1200年)が、大国の勢力が衰えると海上商人による独立都市国家が各地に興りました(BC1200年―BC868年)。ところが海運都市国家ツロにとっての問題点は慢性的な食糧不足でした。都市国家が発展するということは人口集中を余儀なくされ当然食糧不足に陥ります。ところがツロは耕作や放牧する土地が狭く食糧は輸入に頼っていました。耕地や放牧地に恵まれた隣国のイスラエルは食糧確保に打ってつけの場所であったわけです。さらにツロはレバノンの林業や砕石技術を含む建築業についても当時抜群の技術力をもっていたようです。テントや粗末な家屋の建築技術しか知らないイスラエルに革命的な技術力をもたらす先進国なのです。ところでツロはさほどの軍事力を持っていません。ソロモンの保有する軍事力を持ってすればこんな小国などいとも簡単に攻略できたはずです。しかしすでにツロはこの当時、既にアラビア、北アフリカ、東アフリカの諸国と広く交易をしていました。内陸国のイスラエルには海運力も交易力もないのです。ダビデ王・ソロモン王にとって「ヒラムの海運力」は国益に適うものでした。異国人を外敵にするのではなく宥和政策また同化政策を行うことで彼らの優れた文化を難無く手に入れてきたのがダビデ王でありソロモン王だったのです。ダビデもソロモンもこの政策を積極的に推進して国力を増していったと言えるのです。これらの点からソロモン王国とヒラム王国が盟約関係を結ぶのは当然の成り行きだったと言えるのです。ヒラムに主なる神様への信仰があったからダビデ・ソロモンに協力を惜しまなかったとみるのは如何なものでしょうか。つまり神殿建築は名目に過ぎないのです。
[3]契約の内容・・・ソロモンは神殿建築という父ダビデから受け継いだ一大事業完遂の為にヒラムに申し出をします。またヒラムの交換条件内容を以下にまとめてみました。

ソロモンの申し出

1レバノンから杉を切り出す許可

2シドン人の伐採や採掘の職人に指示を仰ぎながらイスラエルから派遣する者達と一緒に作業に当たらせる。

3シドン人の伐採や採掘の職人並びにヒラムの家来人相応額の賃金を支払う。

ヒラムの返答

1杉の木材ともみの木材を必要量全て伐採してもよい

2レバノンから運び出した木材をヤッファ港まで海路で運ばせるので、ソロモン王側で以降ヤッファからエルサレムまで陸路で運び上げる

ソロモンの返答

1小麦二万コルと上質のオリーブ油二十コルを毎年(恐らく建築が終了するまでの7年間)をヒラム王の元に届けた

=注目語句=

語句①シドン人(6):英語Sidonians.;ヘブル語シドニー[狩り]・・・シドン人の先祖はカナンの長子シドンでツロやシドンに移り住んだ。

=注目地名=

地名①ツロ(1):英語Tyre;ヘブル語ツォウル[岩]・・・ツロ(現在のは、現在小さな漁村であるティルス(レバノン)にかつてあった都市である。都市の起こりは紀元前2500年ごろといわれている。ティルスは紀元前1000年頃、ツロ王ヒラムが陸地から1キロメートルほど離れた小島に移した。紀元前332年、マケドニアのアレクサンドロス3世が島へ侵攻するために島との間に突堤を築き、以降半島となった(Wikipedia)。エルサレムから直線距離で北北西に160km地点にある。

=注目人名=

人名①ヒラム(1):英語Hiram;ヘブル語ヒラーム[貴い,貴族,高尚]・・・ツロの王。在位期間34年間。ダビデの宮殿とソロモンの神殿の両方を建てるためにエルサレムに職人と資材を送った人物。ソロモンの神殿の建築家であり技術者でもあった。同姓の建築職人もいた。

列王記第一

Posted by kerneltender