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列王記第一3章-1

列王記第一3章-1(3:1)
=本章の内容=

❶エジプトの王ファラオの娘との婚姻

=ポイント聖句=

1,ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れて来て、自分の家と主の家、およびエルサレムの周りの城壁を築き終えるまで、そこにとどまらせた。

【異教徒との姻戚関係を禁じる律法】 また、彼らと姻戚関係に入ってはならない。あなたの娘をその息子に嫁がせたり、その娘をあなたの息子の妻としたりしてはならない。というのは、彼らはあなたの息子を私から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、こうして主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がって、あなたをただちに根絶やしにするからである。申命記7:3-4

【異邦の民との結婚を禁じるヨシュアの遺言】 しかし、もしも、あなたがたが再び堕落して、これらの異邦の民の生き残っている者、すなわち、あなたがたの中に残っているこれらの者たちと親しく交わり、彼らと姻戚関係に入り、あなたがたが彼らの中に入って行き、彼らもあなたがたの中に入って来ることがあれば、あなたがたは、このことをしっかりと知らなければならない。あなたがたの神、主は、もはやこれらの異邦の民をあなたがたの前から追い払われない。彼らはあなたがたにとって、罠となり、落とし穴となり、あなたがたの脇腹にむちとなり、あなたがたの目にとげとなる。そして、あなたがたは自分たちの神、主がお与えになったこの良い地から滅び失せる。ヨシュア23:12-13

=黙想の記録=

❶1節:エジプトの王ファラオの娘との婚姻・・・「1,ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れて来て、自分の家と主の家、およびエルサレムの周りの城壁を築き終えるまで、そこにとどまらせた。」イスラエル国内の潜在的ライバルを完全に排除した直後ソロモンが手掛けたのはエジプトを含む異教徒の国々との姻戚関係の構築です。手始めはエジプトの王女との婚姻です。この王女はエジプト王朝の中でも勢力が減衰していた時の第21王朝(タニス)の時の人物です。つまりエジプトは周辺国との紛争を避けることで国力を維持する狙いがあり、ソロモンは南の巨大勢力が弱体化している今だからこそ同盟関係を結ぶべきとの思惑があり、両者の利害が一致していた好機だからこその婚姻関係が成立できたのです。この結果両国は強力な軍事同盟を結んだだけでなく、諸外国との交易拡大の恩恵にあずかり膨大な財力を蓄えるに至るのです。ダビデはイスラエル各部族との融和を図るためにそれぞれの部族との姻戚関係を結んでいます。ソロモンは父ダビデの行動を人生の模範としていたにすぎないのです。ソロモンは最終的に700人の妻を娶ります(Ⅰ列王記11:1-4)。しかしこの政略結婚が後にイスラエル全土に偶像礼拝と異教の習慣を広く染み渡らせる大きな要因となってくるのです。この政略結婚を通じソロモンは「異教徒の配偶者や複数の配偶者を持つことを禁じる律法を反故にする大罪を犯したことになります。(申命記7:3-4)。更に一夫多妻を禁じる国王の規定(申命記17:17)にも違反しているのです。このソロモンの性格はどこで培われてしまったのでしょう。これもまた私の推測にしかすぎませんが。ソロモンの母バテシャバは最初改宗者の夫ウリヤと婚姻関係にありました。改宗者とは言え異教文化に染まっていたウリヤの生活スタイルを容認しているのです。恐らくウリヤの実家が当時地域の中でも相当の実力者であったからです。ライフステージを上げる為なら異文化を受け入れることに何の抵抗もなかったのがバテ・シェバです。また更にライフステージを格段に上げるために一階の兵士ウリヤから国王ダビデに乗り換える辺りのしたたかさを持っているのがバテ・シェバです。つまり婚姻関係を利用してステップアップを企てていた人物こそバテ・シェバと言えるのではないでしょうか。「この母にしてこの子あり。」なのです。ソロモンが色濃く母親の影響を受けたのは当然と言えるのです。

=注目人名=

人名①エジプトの王ファラオ・・・古代エジプトのナイル川デルタの北東部に存在した都市を首都とした第21王朝六代目のシアメン(Siamun)を指す。在位期間はBC978年から959年。聖書に登場する無名のファラオで、娘をソロモン王に嫁がせて同盟を結び(Ⅰ列王記3:1)、後にゲゼルを征服してソロモンにも与えたとされている(Ⅰ列王記9:16)。タニスの主神はアメン、その妻ムト、そしてその子コンスであり、三柱神を形成している。

列王記第一

Posted by kerneltender