列王記第一2章-4
列王記第一2章-4(2:36-46)
=本章の内容=
❻シムイの処刑
=ポイント聖句=36-37,王は人を遣わしてシムイを呼び寄せ、彼に言った。「エルサレムに自分の家を建て、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない。出て行ってキデロンの谷を渡った日には、おまえは必ず死ななければならないと覚悟しておけ。おまえの血の責任はおまえ自身の頭上に降りかかるのだ。」
=黙想の記録=❻36-46節:シムイの処刑・・・ダビデが都落ちする際シムイはダビデ一行に呪いの言葉を掛けながら追い回しました人物です。見かねたアビシャイがシムイに襲い掛かろうとするのをダビデは制しただけでなく恩赦を掛けたのです。その恩赦をありがたく思ったシムイはアブシャロムの謀反で都落ちしたダビデがエルサレムに帰還する際、2000人の私兵を引き連れダビデに挨拶に来ているのです。表向きはダビデの護衛を申し出る為だったのでしょう。以来シムイはダビデにもソロモンにも危害を与える存在ではない筈です。いまさらなぜ昔のことを蒸し返すのでしょうか。唯一ひっかる点があるとすれば2000人の私兵の存在です。『36-37,王は人を遣わしてシムイを呼び寄せ、彼に言った。「エルサレムに自分の家を建て、そこに住むがよい。だが、そこからどこへも出てはならない。出て行ってキデロンの谷を渡った日には、おまえは必ず死ななければならないと覚悟しておけ。おまえの血の責任はおまえ自身の頭上に降りかかるのだ。」と根拠地であるバフリムからエルサレムに呼び寄せ「エルサレムに居住する」よう命じています。バフリムはエルサレム北東6.4kmの村でこの場所に行くにはギデロンの谷を通過しなければならないのです。つまりソロモンの命令は「エルサレムで蟄居を命じる。バフリムに戻れば容赦しない。」ということなのです。ダビデ王の恩赦を受けてバフリムで平穏な暮らしをしていたのにあまりにも理不尽な命令とは思えませんか。しかしこのソロモンの命令はダビデの警戒心の延長線上にあるものです。つまり、2000人の私兵を今なお擁していることに対する警官心からなのです。シムイは事件を自ら引き起こします。「39,二人の奴隷が、ガテの王マアカの子アキシュのところへ逃げた」とあります。奴隷が逃げ込んだことが即刻情報としてシムイに伝わっていたということはシムイには広域にネットワークを持っていたことになり、これはシムイが手広く交易を行っていた証拠にもなります。つまり私兵を持ち財産家である有力者です。この点がダビデにもソロモンにも脅威なのです。つまり外国人傭兵を集めることもできる一大勢力であったことは否めない事実です。シムイはサウル一族の残党であることも忘れてはいけません。いつ政敵になるやも知れないのです。早いうち芽を摘んでおく必要性がソロモンにはあったのです。ガテはソロモンが規定したギデロンの谷とは正反対です。3年の時の経過とソロモンが規定した方向ではないというところからシムイは迂闊にも自らエルサレムを出てしまうのです。ソロモン王の元に召喚された時シムイはまさか死刑を宣告されるなどとは思ってもいなかった様です。何故ならガテへの旅は自分の奴隷を探し連れ帰ることで軍事的理由は何もないからです。シムイの行動はあまりにも軽率でした。Ⅱサムエル2章-2で前述した通りシムイは「反社会性パーソナリティ障害」を患っている人物です。他者や自分に悪い影響を及ぼすことを予想することができないのです。本来ならソロモンに事情を説明しソロモンの決定を仰ぐべきでしたが、彼はそれを蔑ろにしているのです。ソロモンに排除される理由を自ら作り出してしまったのです。死刑宣告の内容は理由の如何を問わず「エルサレムからの外出を禁じたことを反故にした」からです。シムイは弁解の余地を与えられず即刻死刑に処せられます。『「客観的な根拠」もなく「単なる憶測と思い込み」で行動する人物は自ら災いを招く』典型例それがシムイなのです。
=注目地名=地名①キデロンの谷(37):英語the brook Kidron;ヘブル語ナハル・ギドロン[急流(谷,ワディ)・暗い]・・・エルサレムとオリーブ山の間を流れる小川
地名②ガテ(39):英語Gath;ヘブル語ゲス・・・Ⅱサムエル21:15-22で制圧されているはずだが以前人口の多いペリシテ人五大都市のひとつ。逃亡した奴隷が紛れて生活していたわけでが、推測になるがここにはシムイの交易相手がいたのではないかと思われる。こうしたネットワークが無ければ早々に見つかるはずが無い。逆に言えばシムイが手広く交易を行い財を成して人物とも捉えることができる。
=注目人名=人名①マアカ(39):英語Maachah;ヘブル語マアハー[圧政]
人名②アキシュ(39):英語Achish;ヘブル語アヒッシュ[焦がす,炙る,黒ずむ,焙る]
※ここに登場するアキシュはダビデとかかわりのある人物とは思えない。「アキシュ」とぴう名前は世襲制だったと思われる。