列王記第一2章-1

列王記第一2章-1(2:1-11)
=本章の内容=
❶ダビデの最期の言葉
=ポイント聖句=5,また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルの二人の軍の長、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。ヨアブは彼らを虐殺し、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。
7,しかし、ギルアデ人バルジライの子たちには恵みを施してやり、彼らをあなたの食卓に連ならせなさい。彼らは、私があなたの兄弟アブサロムの前から逃げたとき、私の近くに来てくれたのだから。
8,また、あなたのそばに、バフリム出身のベニヤミン人ゲラの子シムイがいる。彼は、私がマハナイムに行ったとき、非常に激しく私を呪った。だが、彼は私を迎えにヨルダン川に下って来たので、私は主にかけて、『おまえを剣で殺すことはない』と彼に誓った。
12,ソロモンは父ダビデの王座に就き、その王位は確立した。
=黙想の記録=本章はソロモンにとっての政敵を次々に処分される様子が詳細に描かれています。ご政道に仇名す者は全て敵であり諸悪の根源と決めつけてこれらの事件を眺めると私達にも潜んでいるサタンに支配された肉の性質をも見逃すことになるのです。
❶1-11節:ダビデの最期の言葉・・・遺言ともとれるダビデがソロモンに残した言葉は①主なる神への従順の勧め②ダビデの政敵である人物の今後の処遇でした。残念ですが②については主なる神様から発したことではなく、ダビデ個人の遺恨とソロモンの治世に大きな障害となることへの危惧か要因です。サウルの謂われなき迫害に対して「復讐は主に委ねる」と言明しておきながら晩年になるとその信仰をも反故にしてしまうのです。
ヨアブに関しては二人の軍の長アブネルとアマサを虐殺したことを云々しています。これは取って付けた言い訳です。本当は息子アブシャロムを殺害したことへの復讐心が根底にあるはずです。もし「アブシャロムの復讐の為に処刑せよ」と命じるなら「ヨアブの弟アサエルをアブネルに殺害されたことへの復讐」は正当化されてしまうのです。シムイに関してはダビデの心の広さを示した恩赦(2サムエル19:18-23)を事実上撤回することになります。このシムイの恩赦が当時明文化されていなかったのもダビデの本心にはまだ復讐心が残っていたことを表す証拠です。詩篇69篇は都落ちしていた時のダビデの心の発露ですが、ここにも一旦は怒りの思いを主なる神様に心を向けることで昇華しているように思える言葉が続きますが「69:28この者どもの名を、いのちの書から抹殺してください。正しい人と同じように生きる権利を、はく奪してください。」とあるように激しい復讐心を覗かしているのです。残念ながらダビデの寛容の心は善行を意識的に行える壮年期までであってが、老いにより剥き出しの感情が爆発することが多くなると寛容の心も萎んできてしまったのです。
[バルジライへの処遇・・・子孫を厚遇せよ]
「7,しかし、ギルアデ人バルジライの子たちには恵みを施してやり、彼らをあなたの食卓に連ならせなさい。彼らは、私があなたの兄弟アブサロムの前から逃げたとき、私の近くに来てくれたのだから。」とあるように、自分に善行を尽くしてくれた人物には無条件で厚遇するよう命じるのです。
荒野時代にダビデの元に集まってきたのはダビデにとって足を引っ張る人物ばかりでしたが、ダビデの差別なく歓迎する様子が更に人々を集めて来たのです。この時のダビデには「母親の様に他者に接する寛容の心」で充満していた筈なのです。しかし老齢のこの時期になると、自分にとって都合の良いことをしてくれる、あるいは心地よくしてくれる人物、いろいろと忖度してくれる人物しか周りに残っていないのです。ダビデがもっと復讐したい対象と心を割って交流していればこんな悪感情はないはずなのです。ソロモンはダビデ王の暗黒の部分を主なる神様の御言葉に照らして精査することなく踏襲していくのです。ソロモンの初期の政策はダビデの遺言に従って「邪魔者は消す」ことだったのです。ダビデはソロモンの即位の約6ヶ月後に死にました。(BC961年)