コリント人への手紙第一 14章
=本章の内容=
教会の秩序について❶異言と預言❷妻たちが語ること
=ポイント聖句=ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。 (14:3~4)
=黙想の記録=●サムエル第一10章で、サウルが霊的に生まれ変わり,預言をする記述が出てきます。アブラハム、アロン、ミリアム(女性)も預言者と呼ばれていました。また申命記にはすでに偽預言者が登場し、彼らには厳罰が加えられました。名前が挙げられている旧約の預言者には、デボラ(女性)、サムエル、ガド、ナタン、アヒヤ、エフー、エリヤ、エリシャ、ミカヤ、ヨナ、イザヤ、フルダ(女性)、シェマヤ、イド、オデデ、エレミヤ、ハガイ、ゼカリヤ、ハナンヤ(女性:偽預言者)、エゼキエル、ダニエル、ホセア、ヨエル、アモス、オバデヤ、ヨナ、ミカ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ、ハガイ、ゼカリヤ、マラキと次々と登場します。この他にも名前はでてきませんが数多くの預言者が、そして偽預言者が存在しました。旧約の預言者たちを定義するなら、神から委託された言葉をそのまま人々に伝達する人物と言えます。彼らの発した言葉の中には、個人や国家に起こることを予告するものもありました。しかし、その多くは国王国家の非を責める言葉や行く末を案じる言葉ばかりで、その為、預言者は多くの迫害を受けてきました。称賛を受け報奨を受ける預言者はほぼ皆無です。過酷な運命を背負わされる人々だったわけです。
●コリント人への手紙では「基督者も預言する」ことが書かれています。「13章8節」では預言と異言の将来の姿が書かれています。ところが14章では「預言」を「信徒教育の為の学びや激励の言葉」とまとめているところがありますが、こうした賜物を持った人を「預言者」とは呼称していません。ただし偽預言者は数回使われています。私個人の考えですが、「教会を成長させるために黙想の中で頂いた言葉」を預言と言うことができますが、自らを「預言者」と言うのはいかがな物でしょうか。また「個人・国家の将来を社会事象・自然事象から推測するできる」ことを預言とは言えないと思います。それは「分析」です。分析だけなら、基督者でなくても随分多くの人々もできます。センセーショナルな言葉で教会を浮足立たせ、健全な信仰の成長を図れないとするなら、その行為は逆に「偽預言者」と言われても仕方がないのです。見分け方は意外と簡単です。そのメッセージの中に「イエス様の十字架による救いの話が片鱗もない」ことです。これも個人的な考えでですが、「預言・異言」ができる特殊能力があるからと言って、それをもって特異な存在とは言えず、それをもって他者や他のグループとの差別化をしているようなら、それは教会を混乱させている人々です。