コリント人への手紙第一 13章

コリント人への手紙第一 13章
=本章の内容=

❶至上の愛

=ポイント聖句=

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。 (13:13)

=黙想の記録=

●パウロは異言を否定してはいませんが、他者の徳を高め、他者に仕える動機でなければ、「うるさい」ものと表現しています。うるさいとは聞き手を不快にさせるだけでなく「聴く耳」をも遮断することなのです。
●各種の御霊の賜物しかり。さらに「殉教により命を落とすこと」さへもです。『歴史的に、キリスト教で使われてきた「殉教」(ギリシャ語:Martyria)の語は「証人」という言葉に由来している。すなわち、殉教とみなされるためには、その死がその人の信仰を証していると同時に、人々の信仰を呼び起こすものであるかどうかということが基準とされている。』と定義する場合もあるようです。
●本章には「愛」の性質が十五個に紹介されています。それは「①寛容②親切③ねたまない④自慢しない⑤高慢にならない⑥礼儀に反しない⑦自分の利益を求めない⑧怒らない人のした悪を思わない⑨不正を喜ばない⑩真理を喜ぶ⑪我慢できる⑫信じる⑬期待する⑭耐え忍ぶ⑮絶えることがない。」これらを大別すると、「他者への対応」と「他者への反応」に二分されるでしょう。いずれも、他者との関りについて私たちの姿勢が問われているようです。つまり身につけなければならない「基督者の特性」ですが、逆に言うと他者と積極的に関わることなしにこの特性は身に付かないことになります。さらに言うならイエス様が模範を残された通り、「無償の愛=相手に見返りを求めない=自分を過大評価しない」で行動しなければ、「うるさい」ことになるのです。
●最期に「愛は絶えることがない」と加えられていますね。「私がこんなにも尽くしているのに。私がどれだけ我慢しているのに。この人それがちっとも理解できないんだから。」「こんな奉仕誰が気付いてくれるんだ。こんな奉仕を続けたって何の役にも立ちゃしない。どうせ俺のこと長続きしない奴と思っているさ。」との思いから愛の実践に頓挫する人の何と多いことでしょう。これらの思いが出てくる最大原因は「人からの見返り」を期待しているからで、最初から「神様にお仕えしている」思いから、かけ離れているのです。「この世に宝を積む」のではなく「天に宝を積む」ことがなぜそんなにもできないのでしょうか?「絶えることのない愛」なのですから途中で絶やしてはいけないのです。