コリント人への手紙第一 11章

コリント人への手紙第一 11章
=本章の内容=
❶女性のかぶり物❷聖餐式(パン裂き集会
=ポイント聖句=ですから、あなた方は、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。(11:26)
=黙想の記録=●現在のユダヤでも、男性は頭にキッパをかぶっています。これは頭上の神に対する神に畏怖の念から来ているものです。さらに宗教指導者の場合、キッパの上にタリートという長方形の白い布を被っています。主なる神様の前に出るとき、女性が髪全体を露出することは神様への不敬とみなされます。したがって女性は髪の毛全てを覆う被り物を被ることが命じられています。ところが基督教では男性はキッパさへも被りません。逆に礼拝の時には脱帽して向かうのです。カトリックの教職者は、キッパ―に似た被り物をつけるのも、ユダヤ教と類似しているところがあるようです。現時点では基督教徒が、ユダヤ教徒と区別されるために、キッパ―などを身に着けないようになったという説もありますが。起源や要因がなんであるのかは私にはわかりません。
●ところで、コリントの教会でなぜ被り物のことが問題視されるのでしょうか。それは、コリント教会の女性信徒は熱心に主に仕えていましたが、この熱心さのゆえに、中には行き過ぎた行動に走る女性信徒がいたのです。アダムとイブの時代から「女は男の助け手」であって「主人でも支配者でも」ないとの秩序が与えられていました。家庭でも教会でも、女性は男性を助けることが本来的な役目だと聖書は教えています。男尊女卑の様に聞こえるかもしれません。しかし、これは三位一体の神「聖霊なる神様」のお姿を反映しているのです。イエス様ご自身が聖霊なる神様を「助け手」と呼ばれました。聖霊なる神様のお姿はイエス様の様に具現化していません。ですが、イエス様が託された基督者を支える役目を担われているお方です。このことを教えるための実物教材が、被り物だったわけです。男性と異なる被覆によって、自分の位置をわきまえているとの意思表示だったのです。現在、女性の被り物についてプロテスタントでも意見が分かれています。それぞれの確信に基づいて決定すべきところです。さらに別の観点では、当時遊女はベールをつけていなかったことに対して、女性の礼節をしめす為に被り物をつけたと言われています。
●コリント教会の礼拝における問題点に聖餐式と愛餐会が明確に区別されていなかったことがここから読み取れます。聖餐式はキリストの受難を表す型として執り行われるにも拘わらず、これを食糧配給と勘違いするような人物がいたらしいのです。ユダヤ教の祭りでは、この聖餐式も愛燦会も一つです。そのため、パンをがつがつ食べ、ぶどう酒をごくごく飲むことがあったのです。この聖餐式の本来的な意味が理解されていなかったのが、コリント教会だったのです。
●「秩序」は教会運営には必要です。ところが、その根底に兄弟愛がなければ、「秩序」は鞭であり足かせになってしまいます。また、トカゲのしっぽ切りにも使われていくのです。「教会の秩序」は時として、パリサイ人にとってのトーラーと同様な物になってはいないでしょうか。